10月の瞑想会レポート|107
10月31日(日)の午後、久しぶりに中野支部瞑想会を開催しました。今回は、e-講座(アドバンスコース)の受講を始めたばかりのAさんが参加されていました。宝彩瞑想はまだやったことがないということなので、基本からお話ししました。
まず、「瞑想」というとどんなイメージですかと確認したところ、無思考の状態だとのこと。
では、その無思考をどう達成するかというと、マントラを唱えて、マントラ以外のことを考えないようにすることでは、ない。考えないようにするのではなく、マントラを唱えて出てきた思考を手放すこと。そうやって思考を片付けていくと、だんだん雑念は小さくなり最終的には考えるべき案件がなくなってマインドの動きが止まる。その状態が無思考です。
こういった話から始まり、瞑想の実践と解説という形で進んでいきました。その中から興味深いトピックを二つご紹介します。
雑念とは何か
(初めての瞑想の感想で)これといった雑念は出てこなかったのですが、自分が座っているイメージが浮かんだり、腹式呼吸でお腹が膨らんだり引っ込んだりするのが気になりました。
なるほど。
でもその「気にしている」ことや「イメージする」こと、それこそが雑念なんですよ。
雑念と言うと雑な邪魔な考えというイメージがありますが、実際にはアタマにとって大事な考えです。その時々に重要だと思っていることから出てきます。瞑想しているとよくあるのが、瞑想がうまくできているかチェックしようとすることです。今まさに瞑想しているから、それをちゃんとやろうと。
でもそれは思考ですよね。
「呼吸がうまくできているだろうか」「マントラをちゃんと唱えているかどうか」とか「これで瞑想になっているか」あるいは「雑念が出てこないな」とか。こういった思考も、すべて雑念です。そういうアタマの動きも見逃さずに、気づいて棚上げしましょう。
なぜ瞑想で過去を思い出すのか
瞑想で過去を思い出すというのがありますが、これって無思考を目指すことと矛盾では?
なるほど、そうですね。
僕も、瞑想は無心になることだと思っていたので、なんで過去を思い出すんだろうって思ってました。
簡単に説明すると、宝彩瞑想では無思考状態というのが二つあります。
まず瞑想で雑念を片付けていって、何も考えることがなくなった状態。これも無思考状態ですが、宝彩瞑想ではその先があるんです。瞑想の第二段階です。
マインドが働かなくなって瞑想が深くなると、人によっていろんなことが起きる可能性があります。
そのひとつに「過去を思い出す」というのがあります。今の生活とは関係のないこと、もうずっと思い出したことがないことが瞑想中に出てきます。
そういったことを思い出すと、すごく豊かで安心した気持ちになります。
記憶喪失の反対です。記憶喪失になると、自分が誰だかわからない、自分のよりどころがないことでものすごく不安になるそうですが、その逆です。あんなことがあった、こんなこともあった、いろんなことがあって今の自分がいる。そういう安心感というか幸せを感じることができます。
その先に、『瞑想の真髄のサマリー』にある「本当の無思考」があります。
宝彩瞑想リーダー:チバ