宝彩瞑想会|中野支部

瞑想の基本から、その奥まで。

10月の中野支部レポート|097

2019年10月20日(日)の午前、中野支部瞑想会を開催しました。当日のメニューは、いつもの体操や質疑応答に加え、宝彩瞑想会のしおりの『瞑想の全体的な行程図』の読み上げと解説、鼻腔の奥で呼吸を感じる練習などを行いました。呼び水のテーマは「秋」。今回のレポートでは、『瞑想中にいい呼吸がしたい』Aさんとの質疑応答をご紹介します。

Aさんは、最近は毎朝2本ぐらい瞑想しているけれど、このところは、以前のようには瞑想がなかなか深くならないそうです。原因について何か心あたりはあるか尋ねてみたところ、「いい呼吸がしたいという欲が残っている感じがする」とのこと。瞑想中に呼吸をしているだけで気持ちよかった経験があり、その状態を再現したいという気持ちがあるそうです。

たしかに、いい瞑想ができると、次の瞑想でもそれを再現したくなりますね。僕もそういった経験はあります。特にエクスタシーを体験したあとは、そうでした。

でも、その再現したい欲がある限り、再現できない。
瞑想しながら、瞑想の状態をチェックするというような思考が働きつづけるからです。棚上げはうまくできているか、呼吸はどうか、雑念はどうか、などなど、瞑想に関連する雑念が増え、おまけにそういった思考は見過ごしがちです。いくら瞑想の役に立ちそうであっても、それはどこまで行っても思考です。雑念です。
その思考という働きにひとつひとつ気づいて、棚上げすることが瞑想ですね。瞑想に関することでも、仕事や人間関係などに関することでも、いずれも思考であるという点においてまったく違いはありません。

そういった話をした上で、いい瞑想をしたい欲に関してやっていた、個人的な工夫も紹介しました。それは瞑想の作法の前屈のとき、目を閉じたあと心の中で次のように唱えます。

今から瞑想します

瞑想中に何が起きても大丈夫です

瞑想中に何も起こらなくてもOKです

瞑想中は、すべて明け渡します

次の瞑想の誘導では、この言葉を入れてみました。瞑想後、Aさんは、おかげで瞑想の雑念は出てこなかったけど、少し眠くなりましたと笑っていました。
瞑想って、言ってみればずっと明け渡しの練習ですよね。

宝彩瞑想リーダー:チバ

7月の中野支部レポート|094

2019年7月21日(日)の午前、中野支部瞑想会を開催しました。初参加のAさんは、『始めよう。瞑想』を読んで一年ほど一人で瞑想してきたけれど、棚上げができているか自分ではよくわからないので参加を決めたとのことでした。今回は、Aさんにお話ししたトピックを中心にメモ書き風にレポートします。

マントラに集中しつづけることが瞑想の目的ではない。瞑想は始めたばかりの頃はマントラに集中しやすい。やがてマントラを唱えることにマインドが飽きて次々と雑念が出てくるようになる。その状態を、雑念が出てくるから瞑想ができてないと思う必要はない。次々と出てくる雑念を、次々と棚上げしていくことが瞑想の第一段階。

雑念はなるべく早く気づいて手放す。
そうすると新しい雑念が次々と出てきて、次々と手放すことになる。瞑想の第一段階はけっこう忙しい。

棚上げができているかどうか気にしなくていい。
考えから手をひくこと、出てきた考えを脇に置いてマントラに戻るだけ。一度手放した考えが瞑想中に出てこなければ、棚上げはできている。ただし、さっき棚上げした考えがまた出てきていないかチェックしようとするのも雑念。

出てきた考えは、いったん認めてから棚上げする。
棚上げは、考えを禁止することではない。思考を否定するとマインドはかえってそれに執着する。考え(雑念)を認めて「でも今は瞑想中だから、あとで考えよう」と先送りする。

雑念はだんだん小さくなっていく。
棚上げができていたら、雑念はだんだん小さくなっていく。感情付きの懸案事項から、ただの出来事、記憶、イメージの断片へと。「あとで考えよう」と思わなくても手放せるものは、そのまま手放せばいい。

瞑想中に気をつけることは二つ。
ひとつは眠らないこと。瞑想中に眠る癖をつけるとそれ以上瞑想が進まなくなる。もうひとつは、考えを追いかけないことと。出てきた考えを広げたり追いかけたりするのは瞑想ではない。

瞑想する前にしておいた方がいいこと
瞑想中に棚上げしてもなんども出てくるような考えは、瞑想前に対処した方がいい。気になることをノートなどに書き出しておいて、雑念として出てきたら「それはもう、あそこに書いてある」と棚上げするのもひとつの手。

瞑想のニュートン算のS(ストック)を、なるべく少なくする。
そもそも、心配、不安、後悔、気がかり、怒り、あせりなどの感情を伴う思考データは、なるべく作らないように1日を過ごした方がいい。愛と欲の8要素表などを使って思考の向きを変えれば、ネガティブな感情は消える。相反型の堂々巡りは、どうするかを決めれば止まる。

「瞑想1本15分」というのは、15分やりましょうということではない。
人間の集中力は15分以上は続かないので、瞑想は長くても15分までということ。15分以上瞑想しても、目を閉じて座っているだけで、集中できてない。長い時間瞑想したければ、集中が途切れたらそこでやめて、休憩してからまた瞑想する。休日などに時間を作って何本かまとめて瞑想した方が深くなる可能性が高い。

瞑想する前と瞑想した後の変化を確認する。
瞑想の第二段階に早く行きたいと思うとそれが欲になる。気持ちが楽になったとか頭がスッキリしたとか、あるいは雑念がだんだん小さなものになったというような変化をしっかり感じることで、瞑想の効果・効用を実感できる。一回一回の瞑想を大切に。

Aさんは、3本目の瞑想で、子供の頃に飼ってた犬の映像が見えてきたとのことで、「映像の雑念が出てきたのは初めてです」と興味深そうでした。はからずも瞑想の第二段階に入っていたのかもしれませんね。おめでとうございます。

宝彩瞑想リーダー:チバ

5月の中野支部レポート|092

2019年5月6日(月)の午後、第92回中野支部瞑想会を開催しました。今回の瞑想会には、瞑想経験の豊富な方が二人参加されていて、瞑想中に出る痛みへの対応や深い瞑想で起きたことなど、いろいろな体験を瞑想初心者の方にシェアしていただきました。ありがとうございました。

また、思考を愛の方向へ向けると、感情はすぐに変化することを体験してもらうためのワークというか実験を行いました。瞑想前にこのワークをすると棚上げがはかどります。読者の皆さんも、実験してみてください。

やり方は、今朝起きてからこの会場に来るまでの「ありがたいこと」を目を閉じて、まずは3つ考えてもらいました。どのような「ありがたいこと」があったかを参加者のみなさんに聞いてみたところ、「今朝は、美味しいコーヒーが飲めた」とかで、なるほど、それはすてきなことですが、でもまだまだ贅沢ですね(笑)と。

もっともっと「ありがたい」のハードルを下げて、「空気があってありがたい」「道路があって、電車があるからここへ来れた」レベルのあって当たり前だと思っているもののありがたさを拾い上げましょう、目を閉じて、今度は、2~3分間でできるかぎりたくさんの生かされている恩恵を見つけてください、数え切れないありがたさが見つかりますよ、と。
3分後、目を開けたみなさんの表情が、雰囲気がすっかり変わっていました。

宝彩瞑想リーダー:チバ

4月の中野支部レポート|091

2019年4月28日(日)の午後、中野支部瞑想会を開催しました。今回は、参加者Aさんとのやりとりをご紹介します。

瞑想をやっても、ぜんぜん雑念は片付かないし、瞑想が深くなることもなくて。宝彩先生の教えは理論もしっかりしてて、「瞑想は科学」だというのはその通りだと納得できますが、誰もが理論通りにできるものでもないのでは?
ホームランを打つための理論、こうすればホームランが打てますよという科学的な分析は、そりゃできますが、でも誰もがホームランバッターになれるわけじゃないでしょう。ほとんどの人はできない。できるのはプロの選手でも一部だけで。
瞑想もそうなんじゃないですか?

なるほど。
ふんふん聞いてると「なるほど、その通りかも」と思ってしまうような上手なたとえですね(笑)。でもホームランを理論通り打つためには、技術を磨き習得していく必要がありますね。今まで、できなかったことをできるようにしていくという。瞑想は、そうじゃないんです。

瞑想は「できないことをできるようにする」のではなく、ただ「やめる」だけなんです。幼い頃からずっと磨き上げてきた思考という技術をさらに高めるのではなく、思考している途中に、それに気づいてやめるのが瞑想です。
やめるだけです。
新たに何か技術を身に付けるのではなく、やめるだけ。ホームランなんか打とうとしないで、来たボールを見送ればいいんですよ。

いや、それが難しい(笑)。
自分はやっぱり瞑想が上手くなりたい、深くなりたいという欲が強いのかもしれない。瞑想中に雑念に気づいても、ああ、また気づかないままずっと考えてた、ってこれも考えだって思って、考えがなくなるなんてことないんじゃないか……と。
瞑想が上手くなるには、考えないことだ。だから瞑想中は、瞑想のことを考えてはいけない。そうわかってても瞑想中だから瞑想のことを考えてしまう。それは瞑想が上手くなりたくて瞑想しているんだから。で、瞑想が終わると「今回もダメだった、いい瞑想ができなかった」と思うし、かといって「もうそんなことはいいや、瞑想なんか上手くできなくても」と思うと、瞑想をする気さえなくなってしまう。

なるほど。頭がいい人がはまりやすいところにはまってる感じですね(笑)。
まず、瞑想が上手くなりたい欲は持っていてもいいんですよ、瞑想するために必要なら。瞑想中にその欲が思考として走らなければ、ないのと一緒だから。思考として出てきても、他の雑念と一緒でただ棚上げできれば、それは消える。思考を棚上げするというのは、いってみれば、それを忘れることです。瞑想のあいだ忘れれば、それでOKなんですよ。

それと、瞑想中に考えることを問題視しないことです。「考えちゃいけないのに考えた」と思うと、いくらでも考えを続けられます。マッチポンプで。それだとマインドの思う壺なんですね。ではどうするか?

瞑想中に瞑想のことを考えてるのに気づいたら、マインドを褒めてあげましょう。「こんなとき(瞑想中)でも、よく働いてるなあ」と。そこでマインドに「考えちゃいけないのに考えた」と文句を言うと、思考に巻き込まれます。思考から身を引くことが必要です。そのために、褒める。認めてあげる。で、あとで考えよう、と棚上げする。

あと、プログレスコースとか日常の修行をしっかりやると、思考は消せる、自分と思考は違うという実感を得られると思います。日常の修行と瞑想は相乗効果があるんでおすすめですよ。

参考:プログレスコース今週の修行

宝彩瞑想リーダー:チバ

3月の中野支部レポート|090

2019年3月24日(月)の午後、中野支部瞑想会を開催しました。今回は、不安やそれにまつわる欲の解消法などの話題から参考になりそうなトピックをご紹介します。

欲を手放すには

「欲を手放しましょう」と聞くと、「どこにどれだけの欲があるのかわからないし、それが手放せたかどうかもよくわかならい」となることがありますが、欲というのは思考です。思考がなければ、欲はありません。なので「欲を手放す」というのは、あることについてそれ以上、思考しない、考えないということです。

ただ、ほとんどの欲は、文章として「○○したい」という形では思考していません。欲は大前提になっていて、たんに「どうしよう、どうしよう」という思考が走っているだけだったりします。

この「どうしよう、どうしよう」とは、本来は「○○であって欲しい、そのためにはどうすればいいのか?」ということですね。つまり、「どうしよう、どうしよう」という思考が止まらなくて苦しい場合、それを消すためには、その前提の「○○であって欲しい」を見つけることが必要なんです。

そのためには「どうなって欲しいのか? あるいは、何を恐れてるのか(どうなって欲しくない)?」を考えます。何か思いついたら、さらに、「それはなぜ? なぜそうなって欲しいの? そうなって欲しくないの?」と聞いていきます。これを繰り返していると、いずれ「ああ、これだ」と欲の本体が実感としてわかります。

それは、どこかで聞いたり本で読んだ欲ではなく、リアルな自分の欲です。それに気づけたときは、気恥ずかしさだったり、驚きだったり、どきっとする感じだったりといろいろと気持ちが動くので、それとわかります。その感覚は面白いですよ。あとは、欲の思考を愛の方向に転換するだけですね。なお、こういった作業は瞑想の前に行います。

「認められたい」欲の消し方

「認められたい」欲を消すには、「(相手を)認めてあげる」のもいいやり方ですし、「自分はすでに認められてる」と思えば、それで「認められたい」は消えますね。

「認められなくてもいい」と思うのはどうですか?と聞かれることもあります。これも一見うまくいきそうですが、でも実際は難しい気がします。僕の経験としては、欲が取れたときに、「ああ、認められなくてもいいんだ」と思うことはありますが、「認められなくてもいい」と思って「認められたい」欲を消すのはちょっと無理がある。

「認められなくてもいい」と思おうとするのは、どうしても「認められたいと思わないようにしよう」という感じになります。もともと「認められたい」と思っているんだから。

そうすると、「認められたい」と「認められなくてもいい」の綱引きになります。「認められなくてもいい」が勝ったとしても、それはいわば抑圧です。抑圧だと気分は良くなりませんね。じゃあ、「認められなくてもいい」というのはだめなんでしょうか?

いえ、似たようなやり方でいいのがあります。それは「認められても、いい」と思ってみることです。「認められても、いいよ」と言ってみてください。

これ、面白いでしょう、まずマインドが面食らいますよね。「認められても、いいよ」なんて、そんなふうには考えたことがないから。ちょっと笑えますよね。認められてもいいんなら、認められなくてもいいのかなと、マインドも納得するというか混乱するというか(笑)。

今度、認められてくてしょうがないときに、ぜひマインドに言ってやってください。「認められても、いいよ」と。楽しみですね(笑)。

宝彩瞑想リーダー:チバ

2月の中野支部レポート|089

2019年2月24日(日)の午後、中野支部瞑想会を開催しました。瞑想4本、『瞑想の真髄のサマリー』の唱和、『瞑想会のしおり』全体の解説、「音を聴く」「105引く7」「外部情報か内部情報か」のワーク、その他質疑応答。「呼び水」のテーマは卒業式・入学式。

瞑想始めて半月の人から数年の人までいろいろな方が、熱心に参加してくれたおかげで充実した瞑想会となりました。質問も多くて楽しかったです。
印象に残ったトピックを下記にいくつかご紹介します。

瞑想中に痛みを感じるのは基本的にいいこと。姿勢や体の使い方の癖で、もはや痛みを感じられないほど習慣的な痛みもある。それを感じられるようになるのはいいこと。瞑想中に体が調節することもある。「どうしよう?」と思うと、そこから思考が走るから、ほっておく。ただ痛みがあると認める。

職場でサボっている人のことが気になって瞑想中にも出てくるという相談が。そういうわかりやすい雑念の元は、愛転化するか書き出すかして、瞑想前に処理しておいたほうがいい。サボってる人を大肯定すると、「サボってもいい」。もっと大肯定すると、「今日もよくサボってて素晴らしいなあ!」。笑えると執着もはずれる。

同じことを繰り返し考えているというのは、実際には、同じことを思い出してるだけ。忘れないようにと。なので、ノートに書いて「あそこに書いてある」と思えば、思い出す必要がなくなる。忘れられる。

「マントラに集中しつづける」のではなく、「マントラに戻りつづける」ことが、瞑想の第一段階。思考に気づいてやめる、思考に気づいてやめる、思考に気づいてやめる。本気でやれば、めちゃめちゃ忙しい。

まずは自分が「考えている」ということに気づく。「何か雑念はないかな?」とか「ちゃんと瞑想できてるかな?」とか「どうすればうまく瞑想ができるか?」といったものも、雑念。瞑想に協力的なふりをするマインドに騙されないように。「瞑想のことは、瞑想が終わってから考えよう」と棚上げ。

思い出せない記憶も残っている。何かつらい体験とかがあると、そのあたりいったいの記憶を封印している。でも、その記憶も、それ以外の楽しかった記憶もちゃんと残っている。それらを思い出すのは瞑想の醍醐味のひとつ。

「過去情報」とは今の生活と関係ない記憶。思い出す必要もないとアタマは思っているようなもの。たとえ過去の出来事であっても、怒りや後悔をともなって思い出すものは「現在情報」。まだ過去になっていない。

卒業式・入学式は呼び水のテーマとして良くなかったかも(笑)けっこう緊張や不安を感じていた人が何人か。

宝彩瞑想リーダー:チバ

1月の中野支部レポート|088

2019年1月14日(月)の午後、中野支部瞑想会を開催しました。瞑想4本、『瞑想の真髄のサマリー』の唱和と解説、その他質疑応答。「呼び水」のテーマはお正月。

今回は、瞑想は宝彩先生の本を読んでかなり前に少し試しただけで、現在はC-呼吸講座を受講しているという方がいらっしゃり、基本から瞑想の説明と実践を行いました。

また、B-呼吸はできるようになったけど、C-呼吸はまだ慣れてないということで、息を吸って内臓を押し下げる感覚の説明やそのイメージをつかんでもらうために、実際に僕がC-呼吸を行なったりしました。そのほか、瞑想を進めるにあたっては、日常の過ごし方も大事だという話もいくつか。その中から、ひとつご紹介します。

宝彩道場で、〝愛の方向に考えましょう〟というのは「いい人になりましょう、やさしい愛の人になりましょう」といった、道徳やモラルの話ではありません。

それは人としての努力目標などではなく、もし欲が満たされなくて気分が悪い時は、思考の向きをその反対の愛の方向に変える(解釈を変える)と気分が良くなりますよ、ということです。その〝思考の向き〟というのが、愛と欲の8要素表で表現されています。

これを実際にどう使うかというと、たとえば、何かについて不満がある、つまり欲がある場合、「それがあって、ありがたい」と考えます。家族が家の片付けを手伝ってくれなくて、不満な時は、家の片付けをさせてもらってありがたい、と(笑)。

でも、アタマはそんなこと思えないと言ってきます。それはそうです。ありがたく思ってないから、不満なんですよね。その状態から、無理に「ありがたい」と思おうとすると我慢だとか抑圧になってしまいます。では、どうすれば「ありがたい」と思えるのか?それにはコツがあります。

ありがたい理由をマインドに考えさせることです。「家の片付けをさせてもらってありがたい、でも、なぜ?」と。

疑問を投げかければ、それを解決しようとするのがマインドの習性です。クイズ番組でクイズを出されると、自動的に、答えが知りたくなるのと同じ。クイズだと思って「ありがたい、でも、なぜ?」とマインドに問いかけてみましょう。

最初は、苦し紛れや負け惜しみのような答えしか思いつかないかもしれませんが、それだけでも少し気分が変わるはずです。そのかすかな変化を感じながら「片付けをさせてもらってありがたい、なぜ?」と理由を積み重ねていくと、あるとき、気分がガラッと変わります。心からありがたいと。

その体験は面白いので、ぜひ実験してみてください。クイズのつもりで「ありがたい、でも、なぜ?」と。

宝彩瞑想リーダー:チバ

REPORT LIST