宝彩瞑想会|中野支部

瞑想の基本から、その奥まで。

11月の中野支部レポート|076

2017年11月5日(日)の午後、第76回中野支部瞑想会を開催しました。今回の参加者はリピーターの方ばかりで、質問も多岐にわたり、内容の濃い充実した瞑想会となりました。質問の中から、読者の皆さんにも参考になりそうなものをご紹介します。

瞑想で3年前のことが出てきましたが、これは過去情報でしょうか?

なるほど。慣れてないと、そのあたりは迷いますね。瞑想で過去情報にアクセスするといった言い方をする場合の「過去」というのは、『心のシステム図』の一番奥の記憶域にある過去の情報のことです。いま現在の生活とは関係のないもの、つまり普段は思い出すこともないものです。

ただ、その出来事が5年前、10年前、30年前のことであっても、いったん現在情報のテーブルに載ったものは、それを瞑想中にもう一度思い出した場合は、過去情報ではなく、現在情報です。たとえば、「あのとき、あんなことがなければ良かったのに」といった後悔や恨みなどは、そのことを思い出すたびに、ああでもないこうでもないと繰り返し考えます。この作業はマインドの現在情報のテーブルで行っています。

過去情報というのは、基本的に、思い出してもあれこれ考える必要のない、もう済んだ過去の思い出です。ところで、その3年前の記憶というのは、どういうものですか?

人に優しくされた記憶なんですが、今日の宝彩日曜新聞を読んで思い出しました。

ああ、なるほど。
日曜新聞の『はじめのことば(優しさと第五段階)』を読んだときに連想して出てきた記憶だったんですね。で、日中に思い出した記憶をふたたび瞑想中に思い出した、ということは現在情報ですね。いったん思い出した記憶データが現在情報のテーブルに置かれて、そのデータを瞑想中に拾い上げたということでしょう。

ただ、そういった現在情報であっても、瞑想の「呼び水」になることもあるので、瞑想中にそれをそのまま見ていてもいいと思います。それに関連した記憶が出てくるかもしれません。

でも、その記憶から、「あの時、どうすれば良かったんだろう?」だとか考えてしまう場合は、その記憶は未解決の現在情報なので、棚上げした方がいいです。あるいは、「この記憶は棚上げした方がいいんだろうか?」とか考えてしまう場合も、その考えごと棚上げしてしまう方がいいかもしれません(笑)。

ちょっと話が変わりますが、Aさんが日曜新聞を読んで、その思い出を連想したということに気づいていたのは、とても素晴らしいことだと思います。『気楽なさとり方』に「思考の逆行訓練」っていうのがあるんですが、ご存知ですか?あれをやると、アタマのとんでもない働きというか連想力に笑ってしまうんですが。3つか4つ連想が進むと、想像もつかないところまで行ってる。『あいつはダメだなあ」という思考の前を辿っていくと、道端の赤い花だったとか(笑)。

日中でもそうやってマインドの動きを覚めて観ていると、瞑想中に出てくる思考やイメージなんかも、「ああ、これの元データは、あの時のアレだ」とか自然に分かるようになりますよ。面白いので、ぜひ「思考の逆行訓練」やってみてください。

宝彩瞑想リーダー:チバ

10月の中野支部レポート|075

2017年10月5日(月)の午後、第75回中野支部瞑想会を開催しました。今回は、珍しくリピーターの方が多かったためか、質問は少なく、数多く瞑想することができました。そのかわり(?)、カフェでのアフター瞑想会で、瞑想や修行についての話が盛り上がりました。当日、印象に残ったAさんとの対話の一部をご紹介します。

思考の向きを愛の方向に変えて気分がよくなっても、またすぐ気分が悪くなるということの繰り返しなんですが。ずっとこんな感じなんですかね。

まめに気分の悪さに気づいて、その元の思考・解釈を変換することを続けていると、なんて言いますか、僕の実感では、幸せのアベレージが上がります。
そうなってくると、ちょっとした気分の悪さにもすぐに気づけるようになり、また、気分の悪さに早く気づけば、それが大きくなる前に手早く処理することができるようになり、そうやってまた少しずつ幸せのアベレージが上がっていきます。短いスパンだとわかりにくいかもしれないけれど、一年前、三年前に比べると変わっているんじゃないですか?

ああ、それはそうですね。
あの、金銭欲ってありますよね。その反対は「あげる」だから、親にいろいろ買ってきてあげて最初は気分が良くても、そのうち「あげてもお礼のひとつも言わない」となって、気分が悪くなって、もっと買ってきてあげるんですが、うまくいかなくて……。愛転化でもうまくいかないことってあるんでしょうか?

金銭欲じゃないですよ、その元欲は。
愛転化というのは、そうすべきルール・道徳じゃなくて、シンプルな心の力学です。「満たされない欲があると気分が悪くなる。その欲の思考の向きを反対の愛の方向に変えると気分が良くなる」というだけの。だから、愛転化したつもりでも気分が良くならないのなら、愛転化になっていないのでは。元の欲だと思っているものが違うとか、反対の方向に考えてるつもりがそうはなってないとか。
お礼を言ってもらう、つまり見返りを求めてるっていうのは、「愛」ではないです。それは、たとえば「感謝されたい」とか「認められたい」という欲です。その反対はわかりますよね。

宝彩瞑想リーダー:チバ

9月の中野支部レポート|074

2017年9月24日(日)の午後、第74回中野支部瞑想会を開催しました。熱心なみなさんのおかげで充実した楽しい瞑想会となりました。最後の瞑想の前に「秋のイベント」で呼び水をやりましたが、みなさん、第二段階に入れたようで楽しそうに蘇った記憶の話をされていました。さて、今回は、印象的だった参加者Aさんとの対話をご紹介します。

前回の瞑想会で、出てきた雑念を片付けるのが瞑想ですとか、マントラは雑念を引き出す道具だという話を聞いて、それまでは雑念が出てくるたびに「ああ、また出てきた」「ああ、まただ」と嫌な気分になってたんですが、それが今では「さあ、いらっしゃい」っていう感じで、瞑想が楽しいです。

そうですか、それはいいですね。

あと前回、愛と欲の8要素表は、「いい人になりましょう」という道徳的な話じゃなくて、物事の解釈を変えて自分の気分を良くするためのものと聞いて、それがすごい良かったです。
それ以来、毎日何かあるたびに、これはどの欲だろうとか、どうすれば反対(愛の方向)に行けるか考えるのが楽しいです。夫にも8要素表の話をしたら、「これはすごい」って気に入って、順番に説明しようとしたら「ちょっと待って、その反対は僕が考えるから」って。

はははは。楽しそうで、いいですね。

どんな出来事でも、これはいい出来事だ、いいことなんだと思って、その理由を考えるのも面白いです。
それにしてもアタマって不思議ですね。最初は、これはどうにもいいことだとは思えないなあというようなことでも、良かった理由を考えさせると、ちゃんと答えを考えるんですね。

そうですね。アタマはどんなことでも、問題を出すと答えを欲しがりますからね。テレビのクイズ番組とか、明日には忘れてるようなどうでもいい問題でも「答えはCMの後で!」と言われると、夢中になりますからね。

あははは。そうですね。じゃあ、いい理由を考えるのは、クイズを考えるのと一緒なんですね。

そうですね。だから、どうでもいいクイズを考えるより、「それが起きて良かった、それはなぜ?」とクイズのつもりで、アタマに考えさせる方がよっぽどハッピーになれますよ。

宝彩瞑想リーダー:チバ

8月の中野支部レポート|073

2017年8月20日(日)の午後、第73回中野支部瞑想会を開催しました。今回は、初参加の方が多く、本は読んでいたけど瞑想をするのは初めてという方もいてたくさんの質問をいただきました。その中からいくつかご紹介します。

瞑想する15分をどうやって計ればいいか?

まず、タイマーやアラームは使わない方がいいです。もし瞑想が深くなっているとびっくりするので。「瞑想15分」というのは、必ず15分間瞑想しましょうということではなく、人間が精神的に集中できる時間は15分なので、瞑想も長くても15分までということです。大事なのは時間より、瞑想の質です。

15分たたなくても、集中が切れてきたらそこで瞑想はやめる。その時、開始時間と終了時間を確認しておけば、だんだん体内時計がしっかりしてきます。
なお、ここで言う集中とは、マントラを唱え続けることではなく、雑念に気づいてマントラに戻るという作業ができているかどうかです。マントラ以外の考えに没頭していたり、雑念に気づいても、何度も同じことを繰り返し考えているようであれば、集中が切れているということです。そういう場合は、いったん瞑想をやめて少し休憩して再開した方がいいです。

電車で座って瞑想してもいいか?

いいですよ。僕もよくやります。環境的に、それほど深い瞑想にはならないかもしれませんが、瞑想の第一段階、つまり棚上げ作業を進めておくと、自宅に帰ってから行う瞑想がその分だけ早く進みます。

満員電車が嫌なのですが、何か瞑想的なことでできることはないか?

満員電車の場合は、瞑想するには外部刺激が大きすぎるかもしれませんね。そういう場合は、解釈の変更をしてみてはいかがでしょうか。愛と欲の8要素表などを参考に、欲の思考を愛の思考に変えてみるとか。欲とは自分の得を考えることです。それが満たされないと気分が悪くなります。

しかも、「自分の不快さをなんとかしたい。でもできない」という思考は堂々巡りなので、繰り返すほど気分が悪くなる。なので、自分のことではなく、誰か他の人に思考を向ける。たとえば目の前で窮屈そうにしている人。その人も満員電車は嫌でしょう。自分だけでなく、みんな大変なんですよ。そこで、「毎日よく我慢して乗ってるね、我慢強い人だ、偉いなあ、すごい、すごい」と目の前の人を応援してあげる。褒めてあげる。それだけで気分は変わると思います。ぜひ、実験してみてください。

なお、この思考の変更は「いい人になりましょう」という話ではなく、自分の気分を良くするためのものです。また、こういう工夫をしながら一日を気分良く過ごすと瞑想のニュートン算のS(ストック)が小さくなり、瞑想も早く進みます。これが『瞑想の真髄のサマリー』にある「奨励的な準備」ですよ。

参照:瞑想の真髄のサマリー

宝彩瞑想リーダー:チバ

7月の中野支部瞑想会レポート|072

2017年7月16日(日)の午後、第72回中野支部瞑想会を開催しました。今回は、仕事がらみの質問が多かったのですが、他の方にも参考になりそうなものを二つご紹介します。

「頑張らない」修行

瞑想すると首や腕など体のあちこちに痛みや張りを感じるという話がありました。仕事内容を伺ってみると、ずっとパソコンに向かって作業しているそうです。

たしかに仕事でパソコンを使っていると、目や肩や腰の不調が多くなりますね。長時間、同じ姿勢で体の一部を酷使していることが主な原因です。積み重なると慢性化し、痛さを通り過ぎて、痛みさえ感じなくなることもあります。
瞑想するために座って体に意識を向けられるようになったり、頭がクリアになってくると、ようやく痛みや不調を感じられるようになったということでしょう。そういった本来そこにある痛みを感じられるのはいいことですし、瞑想中に体の自己調整機能が働いて痛みがなくなることもあります。

なので、瞑想中に感じるコリや痛みは、それをどうこうしようとしなければ思考は走らないので、ほっておけばいいのですが、そもそもの痛みの原因を解消することが必要ですね。

e-講座のプログレスコースには、「頑張らない」修行というものがあります。頑張りすぎて、同じ姿勢を長時間続けないようにしましょうという修行です。具体的には、15分同じ姿勢を続けたら、1分ほど休憩して体を少し動かします。歩いてみたり、軽いストレッチ、瞑想会で行なっている「まとい」の体操などがおすすめです。

実際にやってみると、15分が来るのは早いものですが、瞑想と同じく、人間が本当に集中できる時間は15分なので、15分ごとに一息いれるのは、結果的に仕事の効率も上がると思います。

参照:宝彩有菜のe-講座 プログレスコース

優先順位について

仕事で、優先順位を決めて大事なことに集中したいのに、メール対応などから始めて時間を取られてしまうという相談がありました。

優先順位をつけたつもりでも、最終的にはあれもこれも全部こなしたいと思っていると、つい簡単にできることから始めてしまうのではないでしょうか。少なくとも、仕事がはかどっている気分は味わえるので。

優先順位をつけるときのポイントは、ある意味、何を捨てるかということです。大事なものはわかっています。問題は、そうではないものの扱いです。最初から断るとか、今はこの案件に取り組んでいるので後にして欲しいと伝えるとか、あるいは他の人に振ったりといった対処法もあると思います。それほど重要ではないものを捨てられないとしたら、そこにはどんな欲があるか観てみるといいかもしれませんね。重要でないことは後回しにすればいいんですよ。瞑想の棚上げと同じく。

宝彩瞑想リーダー:チバ

6月の中野支部レポート|071

2017年6月17日(土)の午後、第71回中野支部瞑想会を開催しました。今回も初参加の方が多く、オーソドックスに体操と声合わせから始まり、腹式呼吸の練習、「瞑想の真髄のサマリー」の説明、「音を聴く」「105引く7」「内部情報が先か、外部情報が先か」のワークなど。また熱心な方が多く、たくさんの質問をいただきましたが、その中からひとつご紹介します。

棚上げするには、ただ考えをやめてマントラに戻るのか、それとも、その考えを棚に上げるというイメージをした方がいいんですか?

まず、「棚上げする」という言葉は、何か能動的な行為のように思いますが、実際は、あることを考えているのに気がついて、その思考を途中でやめることですね。やめるだけ。
ただやめようとしてもアタマは納得しないこともあるので、「今ではなく、後で考えよう」と先送りすることを「棚上げする」と言います。

なので、その考えから手を引いてマントラに戻るだけで、その考えがもう出てこないのであれば、それでOKです。
ただ、何度も同じ考えが出てくるようであれば、その考えを手放すのにちょっとした工夫をしたほうがいいです。先送りするというのもその工夫の一つだし、日中に、プログレスの修行や「愛と欲の8要素表」を使って思考を変換することに慣れて何か得意なやり方があれば、それも考えを手放すときの技として使うこともできます。「ありがたいなあ」とか「そんなことが起きて良かった」とか「まぁいいか」といったフレーズで。

ただし瞑想の時にこの欲をどう変換しようかと考えていると、瞑想にならないので、思考の変換は日中にしっかり練習をしておいてください。そもそもすぐに手放せないような大きな懸案事項というのは、日中に繰り返し考えているはずなので、その時々にいくらでも練習できます。
そうやって練習して身につけた解釈の変更は、瞑想の棚上げのときにも使えるということです。また、そういった日々の実践により、瞑想のニュートン算のストックも小さくなります。

『瞑想の真髄のサマリー』にもあるように、瞑想の準備は、日中から始まっています。日中から、気分が悪くなる考えを手放し、楽しいこと嬉しいことを考えて気分良く過ごせば、瞑想も早く進みます。
逆に、瞑想がうまくなれば、日中の気分が悪くなる思考に気づきやすくなり、それを素早くやめられるようになります。日常の修行と瞑想というのは、そういう相乗効果があるので、日中から、瞑想が始まっているつもりで、しっかり楽しく過ごしてください。

宝彩瞑想リーダー:チバ

5月の中野支部瞑想会レポート|070

2017年5月20日(土)の午後、第70回中野支部瞑想会を開催しました。今回はリピーターの方と初参加の方が半々で、全体的にリラックスしたいい雰囲気の瞑想会となりました。初参加の方からの興味深いご質問をご紹介します。

『気楽なさとり方 般若心教の巻(日本教文社)』を読んで、般若心経をマントラにしています。「間違えないように集中して唱えていると必ず間違える、その間違えたことに気づくことが意味がある」と本の説明にありましたが、全然間違えません。どうしたらいいんでしょう? 唱える時には「このギャーテイの次はパーラーだな」と一つずつ確認しながらやっているんですが、そうすると全然間違えません。

なるほど。
じゃあ、瞑想してても「全然間違えないな」とか「どうしたら間違えるんだろう?」とか考えたりしませんか?

Aさん:はい。

チバ:そうですか。もうしっかり間違えてるので、大丈夫ですよ(笑)。
「間違える」というのは、パーラーの部分をギャーテイと言い間違えるといったことだけではありません。「ギャーテイギャーテイ、パーラーギャーテイ、パーラーソムギャーテイ……」と唱えるはずのマントラを「ギャーテイ、次もギャーテイ、ギャーテイ、次はパーラー、パーラー、やっぱり間違えない、ええと次は…」と唱えたとしたら、それは間違っていますよね?
マントラ以外の、思考がマントラの間に入っています。それが雑念です。たとえマントラを集中して唱えるためであっても、マントラ以外の思考は全て雑念です。
瞑想中は、瞑想に関する思考も、仕事や人間関係や過去や将来に関する思考と同じく雑念なので、しっかりその思考に気づいて棚上げしてください。
そうすると、次の雑念が出てくると思います。そしたら、それも棚上げしてください。瞑想の第一段階はその繰り返しです。

Aさんは、この説明を聞いて、これまでのこだわりが取れたようで、次の瞑想では、「今日遅刻したなあ」とか「帰ったら何をしようか」といった雑念が出てくるようになったそうです。これまでの疑問がすっきり解消できたと嬉しい感想をいただきました。

宝彩瞑想リーダー:チバ

4月の中野支部レポート|069

2017年4月29日(土)の午後、第69回中野支部瞑想会を開催しました。何回か瞑想会に参加された方ばかりでしたが、瞑想の進み具合はそれぞれです。

雑念とは何か、棚上げとは何かといった瞑想の基本の話もしましたが、Aさんから「最近、瞑想で過去のことが出てきましたが、これは瞑想の第二段階でしょうか?」という質問がありました。

そのときの様子を詳しく聞いてみると、「ああ、それはまさに第二段階に入っていますね」という感じでした。Aさんは、ずいぶん前から、瞑想が深くなりそうだけどなかなかうまくいかないという状態が続いていたので、お話を聞いていて、僕も嬉しくなりました。

さらに、その過去を思い出す瞑想の少し前に、小学校の校庭のイメージが出てきて、そのころからある特定のプログラムが動いていたことを思い出したら、すっかりそれが取れたとのこと。「その後、試しにそのプログラムに沿って思考を進めようとしても全然うまくできなくて」と、楽しそうに笑っていました。

宝彩瞑想リーダー:チバ

3月の中野支部レポート|068

3月26日(日)の午後、第68回中野支部瞑想会を開催しました。今回は、瞑想4本に質疑応答、「瞑想の真髄のサマリー」の説明、呼吸法の練習、呼び水(テーマは卒業式・入学式)、「音を聞く」「105引く7」「内部情報が先か、外部情報が先か」のワークなど盛りだくさんの瞑想会となりました。参加者の皆さん、ありがとうございました。今回も、いくつか出た話題をご紹介します。

まず、何人かの方から「なかなか境地瞑想に行けないのですが?」という質問がありました。
それに対しては、実践瞑想(瞑想の第一段階)のアタマの片付けが終われば、境地瞑想に入るので、まだ片付けが終わってないということ。また、他の欲が片付いても、境地瞑想に入りたいという欲が残っていて、瞑想のことばかり考えていることがあるので、それにもしっかり気づいて棚上げすることが必要です。そういう場合は、境地瞑想のことを忘れると、いつのまにか境地瞑想に入っているでしょう、と。

他には、前回の瞑想会に参加し、瞑想は集中力が切れたらそこでやめたほうがいいという話を聞いて、瞑想をすぐに止めるようになってしまったという人がいました。
よく聞いてみると、集中力が切れるという言葉を、どうやら「マントラに集中できなくなったら」と受け取っているようでした。つまり、雑念が出てきたらすぐにやめるようになっている。

そこで、その「集中力が途切れたら」というのは、マントラへの集中ではなくて、「集中」「気づき」「棚上げ」の一連の作業に対する集中力のことだと説明しました。いわゆる浄化三手順ですね。

マントラに「集中」しようとして、雑念が出てくるのは、当然のことです。出てきた雑念に「気づいて」「棚上げ」するのが、瞑想の第一段階なので、マントラを唱えていても、いつのまにかマントラを忘れて、雑念が出てくるのは織り込み済みです。瞑想は、マントラを唱え続けることではありません。

「集中力が途切れたら」というのを、もう少し具体的に言うと、雑念をずっと考え続けていることに気づけなくなっている、あるいは、気づいてもなかなか棚上げができなくて、同じことを考え続けているという状態です。そうなると、瞑想というより、座って目を閉じて考えを膨らませているだけなので、そこで中止した方がいいということです。この説明で、今回は理解していただいたようでした。

この話と関連する気づきを、他の人が瞑想会の最後でお話しされました。今まで「マントラというのは、雑念を引き出す道具のようなものだ」と何度も聞いて、頭ではわかっているつもりでしたが、これまでずっとマントラを唱えることで、雑念が出てこないように押さえつけていた気がします。そうではなくて、雑念がたくさん出てくるというのは、いいことなんですよね。それだけたくさんの雑念を片付けられるということなので、と。

まさに、そのとおりですね。素晴らしい実感です。頭で理解していたつもりのことが、実感としてわかるというのは、修行の醍醐味ですね。そういった気づきを通して、瞑想の実践は進んでいくのだと思います。

宝彩瞑想リーダー:チバ

2月の中野支部レポート|067

2017年2月11日(土)の午前、第67回中野支部瞑想会を開催しました。今回は、初参加の方の方が多く、瞑想の基本的な説明が中心になりました。具体的には、「棚上げ」の意味や雑念(思考)とは何か、思考を膨らませないコツなどを、「瞑想の真髄のサマリー」の解説や「音を聞く」「105引く7」などのワークをしながら質問にお答えしていきました。瞑想は4本。

全体としてはオーソドックスな入門瞑想会といった感じでしたが、熱心なみなさんのおかげで、充実した楽しい瞑想会になりました。ありがとうございました。個人的には、最後の感想のときにいただいた質問が印象的だったので、下記にご紹介します。

ひとつ聞いていいですか? 瞑想していると、魂の声とか聞こえるようになりますか?

え、それはどういうことですか?

えっと、魂の声が聞こえて、自分の本当にやりたいことがわかったらいいなあと。

そうですね、瞑想して欲が少なくなってくると、本当にやりたいことがわかってくるということはあるかとは思いますが、僕は魂の声は聞いたことはありません。その魂の声というのは、何か自分以外の声が自分の中から聞こえてくるということ?

はい。

そうですか。なんで、今、本当にやりたいことについて考えているんですか?

転職しようかどうか、今がいいタイミングなんじゃないかとか、でもこのまま続けようかと迷っているんです。

ああ、なるほど。その気持ちはわかりますが、『やりたいこと探し』は、不幸への近道ですよ(笑)。

ええ、そうなんですか?

はい。まず、『本当にやりたいことを探す』というのの裏にあるのは、『今は、やりたいことをやっていない』とアタマは思ってる。つまり、今の『やりたいことをやってない』状態は不幸だということですよね? そして、その不幸な状態は『本当にやりたいこと』が見つかるまでずっと続きます。さらに、もし何かしら見つかったとしても、やりたいことをやってればず〜っと楽しいというわけでもない。そうすると、アタマは必ず迷います。これは、本当に自分のやりたかったことだろうか?と。だから、自分以外の何かから保証が欲しいと思う。たとえば、魂の声とか。

ああ……。

それにですね、そういう人生の岐路に立った状態で、瞑想して何かそこから答えを得たいと思っていると、その目的自体がものすごく大きな雑念になりますよ。瞑想を進める邪魔になります。

はあ。

そういう場合は、ひとつの考え方としては、転職してもしなくても、どちらに行ってもたいした違いはない、どっちに行っても私は幸せだと思うことです。それは、今自分がどれだけ幸せで恵まれているかに意識を向けるということです。今やっていることを、これが自分のやりたかったことだと思ってあれこれ工夫して楽しくやってみるとか。そもそも仕事があるだけでも、ありがたいことじゃないですか。

そうですね。

それに、他のことも、たとえば今日、電車に乗って来たでしょう? その電車が走るのに線路を引いて、電気を流して、運転して、それ以外にもどれだけ多くの人のおかげで電車が走っているか。蛇口をひねれば水が出てくる。あたりまえのことですが、これも考えてみれば、どれだけありがたいことか。ちょっと目を向ければ、そんなことばかりでしょう?

そうですね。

とりあえず三ヶ月ぐらい、転職のことは棚上げして、どれだけ自分が生かされているか、感謝しながら幸せを感じて過ごしてみてください。で、三ヶ月後に考えてみたら、また違った感じ方をすると思いますよ。

はい。

あ、そうそう、宝彩先生は人間の天職は、『食って寝ることだ』って言ってますよ(笑)。毎日、楽しく笑って、食って寝れば、それでOKなんです。言ってみりゃ、仕事なんか余事、雑事ですよ。

はい、ありがとうございます。

すっきりしましたか? 今日は来れて良かったですね(笑)。

はい、本当に(笑)

宝彩瞑想リーダー:チバ

1月の中野支部レポート| 066

2017年1月21日(土)の午後、第66回中野支部瞑想会を開催しました。今回は、初参加の方は少なく、支部瞑想会経験者の方がほとんどでした。質疑応答や『瞑想の真髄のサマリー』の説明を挟みながら、瞑想は4本。久しぶりに『呼び水』も行いました。興味深いトピックをいくつかご紹介します。

瞑想中に雑念が少なくなってくると、顎が上がってくる気がするのですが?

日中の姿勢の癖や緊張を解消するために、瞑想中にそういうことが起きる人もいます。その癖や緊張は、精神的な癖や緊張が元になっているが、棚上げが進むと、アタマによる肉体の支配がゆるむので、ようやく体が自己調整できるということです。体のことは、体に任せて放っておけばいい。「私は瞑想しますから、カラダさん、好きにやってください」というつもりで。

A瞑想中に、大きな案件について考え込んでしまうのですが?

瞑想する前に、大きな案件は片付けておいた方がいいですよ。大きな案件は、日中にも何度も繰り返し考えているはずなので、それがあることにすでに気づいているはずです。
まず、すぐにできるやり方としては、その案件について自分が考えていることを書き出すこと。そうすると、その事柄全体を客観的に見ることができるし、その案件を自分の中に置いておく(覚えておく)必要がなくなる。瞑想中にその案件が出てきたら、「そのことはあのノートに書いてる」と棚上げしましょう。

根本的な解消法としては、欲の思考を愛の思考に変換すること。たとえば、友達とケンカして次に会ったら何て言ってやろうかなんて考えていると、こう言ったら、こう返されるかも、じゃあ、こう言えばどうか、いや、これじゃだめだとかシミュレーションは際限なく続く。実際に、どうなるかはわからないことだから。繰り返し考えていると気分が悪くなるし、瞑想中にそれをやれば、瞑想ではなく妄想になります。

Aさんのその案件は「勝ちたい欲です」とのことでした。自分が勝ちたい欲の反対は、「自分が負けたい」ではなく、「相手に、勝たせてあげる」。「自分をわかってほしい」の反対は「相手をわかってあげる」。今度機会があったら、ぜひ、やってみてください。うまく決まれば驚くほど気持ちが変わります。そうなると、懸案事項であったものが、逆に、ありがたい出来事に思えたりもします。

瞑想中に、A、B、Cと雑念が出てきて、またAが出てくることがあるのですが?

雑念は優先順位の高いものから出てきます。はじめに出てきたAはアタマにとって重要なことです。そういったものは、棚上げしたつもりでも、すぐにまたアタマは引っ張り出してきます。

そのAというのは、具体的にはどういう雑念か聞いてみたところ、「瞑想についての思考」でした。瞑想がうまくなりたいという欲。さらに具体的には、「自己否定的な思考の癖があるので、瞑想でそのプログラムを取りたい」とのこと。そのために、早く第二段階に行きたい。そのために、早く瞑想がうまくなりたい。そのために、自分の瞑想のやり方が正しいかどうか、瞑想中にずっと気になる。ということのようで、Bさんは瞑想が楽しいと感じたことがないともおっしゃっていました。

瞑想がうまくなりたいと思って、熱心に瞑想するのは素晴らしいことです。
ただ、あまりに強く目的意識があると、瞑想は難しくなり、楽しくもなくなります。瞑想している間ずっとその欲に基づく雑念が出てきて、その棚上げに追われて瞑想が終わります。これでは他の案件の棚上げができず、瞑想がなかなか進みません。
また、極端な言い方をすれば、第二段階に入れないと瞑想は意味がないと思い込んでいると、瞑想するたびに「今日もうまくいかなかった、失敗だった」という思いを繰り返すことになります。もし、そういう思いに囚われているのなら、瞑想は少しも楽しくないでしょう。発想を変えた方がいいかもしれません。

まず、瞑想とは「アタマを休ませること」だと思った方がいいと思います。アタマがこれは重要だと持ち出してくる仕事を、取り上げて、取り上げて、取り上げる。考えないようにするのではなく、この瞑想中は何も考えなくてもいい時間というつもりで。「大事なことは後で考えよう、だから今の10分、15分は何も考えなくていいよ」とアタマの仕事を取り上げる。
そして、瞑想する前と終わった後の変化を感じてみる。頭が軽くなったとか気分がスッキリしたとか、そういったささやかな違いをしっかり感じて、瞑想すること自体が自分にとっていいことだと再確認することです。

また、プログラムの解消には瞑想での再体験が効果的ですが、その解消は日中からでもできます。日中の自己否定的な思考に気づいて、それを棚上げしたり、欲から愛の方向に思考を転換するといったやり方です。
プログラムの何が問題かというと、自動反応してしまうことです。逆に言えば、自動反応しなければ、それはプログラムではなくなります。否定的な思いが出てきたら、「自分は自分のままでOKだ」と、自分を許してあげましょう。ダメな自分をなんとかするために瞑想するのではなく、「自分は幸せだ、このままでOKだ」と少しでも思えるようになれば、瞑想もぐっと進むと思いますよ。

宝彩瞑想リーダー:チバ

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