宝彩瞑想会|中野支部

瞑想の基本から、その奥まで。

歯を食いしばる癖を取るには

歯の痛みにずっと悩まされ、近いうちに親知らずを抜くことになっているという方から質問メールをいただきました。
痛みは、夜中や無意識の歯の食いしばりが原因らしく、『心象の親に勝つ(Kindole書籍)』の「歯をくいしばる癖をとりたいのですが?」という項目に興味があるけれど、パソコン関連に疎くてKindle本を購入することができないそうです。

それに対する僕の返信メールから始まるやりとりを一部抜粋して、ご紹介します。なお、『心象の親に勝つ』は、こちらから。
『心象の親に勝つ: 宝彩有菜の対話集(3)』

Aさま

こんにちは。チバです。
メールありがとうございました。

(中略)

さて、「歯をくいしばる癖」についてですが、『心象の親に勝つ』には、「生きることは大変だ」というマインドの思い込み、つまりプログラムが原因ではないかという瞑想会での対話が載っています。

つまり「生きることは大変だ」というプログラムを取ること、「もうそんなに歯をくいしばって頑張ることはない」と理解することがその解消法です。このときの参加者のプログラムは父親との関係が元でできていたので、要は「心象の父親と戦って、勝つ」ということです。ちなみに、e-講座の自心脱親コースがまさにそのためのコースです。
宝彩有菜の自己尊立コース

それともうひとつは、精神的なことが元の癖でも、長く続くと、肉体がくいしばるんだと覚えてしまうこともあるとのことです。こちらからのアプローチもやってみるといいかもしれません。
一つのやり方としては、日中、どんなときに自分が歯を食いしばっているか気づくこと。無意識で、歯を食いしばらないということです。僕の知り合いでも、日中に観察してみた人がいますが、ささいなことでも、何かを始めようとすると、食いしばっていることに気づいて驚いたそうです。たとえば、シャンプーをしようとか、椅子から立ち上がるとか、何かを思い出そうとしたときとか。

これは、「歯を食いしばらないようにする」のとは違います。歯を食いしばる癖のある人が、「歯を食いしばらないようにする」のは、ある欲を別の欲で抑えつけようとするのと同じことなので、よけいに緊張します。
そうではなくて、ただ自分が歯を食いしばっている、食いしばろうとしていることに気づく。そして、そんなに頑張る必要はないことを理解して、顎の力を抜く。微妙な違いですが、そんな感じです。

あと、プログラムを取るには瞑想は有効な方法ですが、今回のように、もうすぐ抜歯するという切羽詰まった状況で、瞑想でなんとかしたいというのは、ちょっと難しいかもしれません。その期待が大きな欲となって、瞑想が進みづらくなるように思います。眠れないときに、早く眠ろうと頑張るのは逆効果ですよね。

なので、瞑想は瞑想としてこれまで通り普通に行い、日常での観察をしっかり行なった方がいいと思います。何かありましたら、またメールしてください。

チバ様

お忙しい中、丁寧なお返事をいただきまして本当にありがとうございました。教えて頂いた内容、とても参考になりました。納得いくことばかりです。

後半のチバさんからのアドバイスいただいた内容は、まさに私の陥っているポイントをついたアドバイスで、目の前が明るくなった思いです。まさに、チバさんのおっしゃるとおりです!
本当にありがとうございます。

そもそもの原因であるこういった背景は、歯医者さんに説明しても、理解してもらえないことだったので、すでに気持ち的にもすごく楽になりました。少なくとも、今は、痛みも引いています(^^)

アドバイスいただいきましたように、瞑想でなんとかしようという欲に気づいて、今まで通り瞑想しながら、ふだんの自分の身体を観察してみます。本当に本当にありがとうございます。

宝彩瞑想リーダー:チバ

『瞑想の夜明け タンジャ物語』のレビュー

瞑想の夜明け タンジャ物語

この本は、e-講座インテンシブコースの副教材だった『タンジャ物語』に、謎解きを含んだプロローグをつけて、SF風の物語にしたもので、内容に関しては、この本の「はじめに」を引用すると下記の通りです。

瞑想に関する一番古い文献は、おそらく古代インドの『パタンジャリのヨーガスートラ』だと言われています。そのパタンジャリが実在した人物かどうかもわかりません。歴史がゆっくり流れていたころのお話です。
この『瞑想の夜明け タンジャ物語』は、パタンジャリを、「パータ」「タンジャ」「ジャリー」の三人の人物に分けて『パタンジャリのヨーガスートラ』の成立にいたるまでの瞑想の発案・工夫等を語っています。

『瞑想の夜明け タンジャ物語|宝彩有菜』

つまり、瞑想についての本です。面白いのが、古代インドで瞑想が発案されたきっかけです。この本では、エクスタシーがその動機ではないかと推察されています。思考が止まったら、エクスタシーが来るんじゃないかという発想。

なるほど、何も考えてない状態を経験したことがなければ、その状態になってみようなどと思わないだろうし、そういう点から考えれば、動機はエクスタシーだというのもうなずける話です。
ということで、パータ、タンジャ、ジャリーの三人は「何も考えない」をやってみますが、そう簡単にはできません。じゃあ、どうすれば無思考になれるのか?

三人は、思考の働きを観察し、仮説を立て、実践することを繰り返し、少しずつ瞑想の技法が発展して進んでいきます。その過程を追っていくと、瞑想とはいったい何をどのようにすることなのか、何が大切なことか、また、なぜ、そうすることが意味があるのか、それらの目的や意図も含めて、根本的に深く理解することができるという希有な内容になっています。

読んでいると、自分もその歴史的な発見に立ち会っているような面白さと知的興奮があり、同時に、瞑想の素晴らしさを実感しました。ぼくは、インテンシブコースの副教材としても読んでいましたが、瞑想に関してのいろいろな工夫が満載で、すっかり忘れていたなというものもあり、これからの瞑想に活かしていきたいと思います。
あと、今回つけ加えられたエピローグの中に、瞑想の第二段階に入る際のコツがさりげなく書かれていて、それも良かったです。瞑想をしっかりやっていきたい方は、ぜひ読んでみてください。

宝彩瞑想リーダー:チバ

自己認識を高めるには

先日の第30回中野支部瞑想会で、不要になったプログラムをはずすには、「自分は強い」と思うことが必要だという話をしましたが、『宝彩日曜新聞』の記事で参考になりそうなものがありました。

下記は、『宝彩日曜新聞』第201号からの引用です。この記事は、本部瞑想会で、参加者の質問に宝彩先生が答えている音源を書き起こしたものです。日曜新聞のサイトは、こちら。
宝彩日曜新聞

宝彩瞑想会から修行のQ&A

Q:拙いプログラムを外すのに自己認識を高くするというのは、よくわかりました。でも、自己認識を、自分は「弱い」から「強い」に変えるのはどうしたらいいのでしょうか?

A:そうですね。もう一度、順に説明しますと、自己認識テーブルというのが、マインドの識域にあります。
<宝彩有菜の心のシステム図>
自分はこんな人というのが書いてあるのね、名前とか、体格とか、自分は弱いとか、いろんなことが。

今の自己認識テーブルが「自分は弱い」のままかもしれないと、それがどんと変われば、「自分は弱い」で動いているプログラムも外れます。今が、お母さんよりも、お父さんよりも強い、というふうにしっかり決まればね、弱い自分を守るためのプログラムは要らなくなるよね。

今のテーブルが昔のテーブルのコピーで動いてるとダメですよということなんだけど、今のテーブルと昔のテーブルが違うということをまずは認識しないといけないんだけど、それを認識するのはどうするかと言うと、つまり、ご質問の自己認識を変えるにはどうするかと言うとですね、昔は弱かったねえ、ほんとにかわいそうだったね、よく頑張ったねとか言って、そこを認めてあげないとダメなの、まずは。

自分の中のその小さい時のテーブル関係で、ぐわあ〜といっぱいあるところを、まずは、客観的にすごい認めてあげる。よくがんばったねとか、辛かったねとか、そういうことを自分自身で言ってあげるということね。
イコール、今はそうじゃないと言ってるということと同じだから。それで、そんな作業をします。

昔がこうだったということを、本気で、なぐさめてあげる、認めてあげる、がんばったとほめてあげる、もっとがんばれと言うのはダメで、もうそれでよかったんだと言ってあげる。そういうことをすると、初めて、ああ、小さいながらもがんばったなというのがわかるし、その時に間違ってこう解釈しちゃったんだなということも許せる。すると、弱い自分を守るためにつくったプログラムも外れます。

宝彩有菜(談)

宝彩瞑想リーダー:チバ

思考の種「法」って?

支部瞑想会後のカフェで、ある参加者との会話

Aさん「チバさん、思考は五感情報からスタートするんですよね。例えば、私の場合、掃除機の音を聞いて気分が重くなってました。これは、掃除機の音を聞いて思考が走って気分が悪くなった、ということでしょう?」

チバ「そうですね」

Aさん「でも、今日の瞑想会で、『思考が始まるのは、五感情報からだけじゃない』とチバさんに言われました。それって、どういうことですか? 私は、五感情報以外のパターンを思いつかないのですが」

チバ「じゃあ、五感情報を遮断して瞑想しているときに、雑念が出てくるのはどうしてですか?」

Aさん「え、ああ、そうですね……」

チバ「五感情報を遮断しているのに、瞑想で雑念が出てくるのは、頭の中に思考の種(*1)をもっているんですよ。それが、『法』(*2)です。本当に、五感情報だけから思考が始まるのなら、五感情報を遮断したら、何も思考が出てこないはずですよ」

Aさん「あー、なるほど。そうですね」

チバ「ところで、その掃除機の音で気分が悪くなるというのは、今でも?」

Aさん「今は、大丈夫です。掃除機の音から始まって気分が悪くなっているとは、私は気づいていませんでした。『思考の逆行訓練』(*3)で、気分が重いのを五感情報まで遡ってみたら、それが掃除機の音だったんですね。そこで初めて知った。
それ以降、掃除機の音で嫌な気分になることはなくなりました。子どもの頃、単身赴任の父が帰って来るときに、母がイライラしながら掃除機をかけてたんですよね。それで、子どもの頃の私は嫌な気分になっていた。掃除機の音で今も気分が悪くなっていたんだと、知ったら、実感したら、嫌な気分にならなくなった。面白いですね」

チバ「へえ、なるほど。面白いですね」

Aさん「それに、いつも前に前に思考を進めている意識だけど、今来た思考経路を後ろにたどってみるなんて、びっくりでしたよ。後ろ向きもいいもんだなあ、って、何だか感動」

チバ「「あははは、感動ですか。それはよかったですね」

*1「思考の種」とは、思考をスタートさせる刺激・情報のことです。
参照:宝彩有菜の瞑想のニュートン算

*2「法」については、こちら。
『気楽にサトル生き方』(ぱる出版)

*3「思考の逆行訓練」は、こちら。
『気楽なさとり方』

宝彩瞑想リーダー:チバ

リフティングと瞑想(1)

宝彩BBマガジン第33号に『リフティングと瞑想』という記事を書きました。33号発行記念として、この記事から抜粋したものを何回かに分けてご紹介します。宝彩BBマガジンはこちら。
http://hosai.world.coocan.jp/bb-site/index.htm

■モチベーション詐欺、あるいはまえがき

支部瞑想会で、瞑想をするモチベーションについて質問されることがあります。瞑想をやってもあまり効果が実感できなくて、どうやってモチベーションを保てばいいんでしょう?といったような感じで。

僕は、瞑想にモチベーションは必要ないと思っています。瞑想に限らず。
モチベーションが問題になるのは必ずモチベーションがさがっているときですが、実際には瞑想をやる気があまりなくなっているということです。それを『モチベーション』と言い換えて、そのモチベーションがあがれば、瞑想ができるという発想。この発想こそが逆に瞑想を続けられなくする原因じゃないでしょうか。
なぜなら……その前に、モチベーションってなんでしょうか。僕の定義では、モチベーションというのは、見込めるリターンがコストより大きいかどうかで決まります。見せられたニンジンが大きいほど、馬は速く走る。

モチベーションが高い=見込みリターン > コスト
モチベーションが低い=見込みリターン < コスト

わかりやすい例でいうと、ダイエットや筋力トレーニング。この器具を使えば『1日たった5分間の運動で、ウエストがみるみるスッキリ!』なんて宣伝がありますね。これはうまい宣伝だなあと感心します。何がうまいかって、そんな宣伝を見て気分が盛りあがってつい買ってしまっても、ほとんどの人がその効果が出るまで続けられません。僕もずいぶん前に買ったことあります、何とかブレードとか。もちろん途中で飽きました。

するとですね、効果が出ないのはその器具のせいではなく、自分が続けられないからということになりますね。これは自分には向いてなかった、もうこういうの買うのはやめよう、と。でも、ほとぼりがさめると、『たった3分の運動で全身スッキリ!』の今度こそ効果がありそうな新開発の器具をついつい買ってしまったり。こういうのってモチベーション詐欺じゃないの?なんて思います。まあ詐欺はちょっと言い過ぎですかね。

でもこういった宣伝には、継続できないよう巧妙なトリックが仕組まれています。短時間、手軽さ、楽にできることを強調していることです。つまりコストは小さいですよ、それなのにこんな素晴らしい効果(リターン)がありますと言ってるところです。こんなに楽なのに、こんなに素晴らしい効果が! いやあ、モチベーションがモリモリあがりますね。

「それのどこが? 普通の宣伝じゃないの?」と思った方、いいですか、よく考えてみてください。ある運動にかけるコストが小さくてすむ、それが小さい方がいいというのは、実際には、その運動は「したくない」ということです。「そんな運動、ほんとうはしたくない。できることなら1秒だって」という意見に一票いれてるんです。どんなに効果的な運動でも、続けないと実際には効果は出ないのに。で、「やりたくもない運動を続けられますか?」ということです。僕は無理です。無理でした。そんな強靭な意志があるなら、はじめからそんな器具、必要ないでしょう。

要するに、モチベーションというのは、できるだけ大きな効果を、できるだけ楽して手に入れたいというだけのこと。瞑想のモチベーションということに話を戻せば、瞑想の第二段階に行きたい、過去情報を見てみたい、プログラムを取りたい、悟りたい、幸せになりたいといったものが見込みリターンです。しかも低コスト=『できるだけ早く、簡単に』ということです。わあ、なんて強欲。

もちろん、瞑想をはじめるきっかけとして、いろいろと期待するのは当然のことです。スタートとしてぜんぜん間違っていません。ただ、すでにモチベーションがさがってる状態で、モチベーションをあげるには、『コストを小さくする』か『リターンを大きくする』かです。コストを小さくしようと意図すると、それを行うことはコストだと認定することになります。それをすることが楽しいことではなくなる。逆に、期待(見込みリターン)を高く設定しなおすと一瞬夢は見られますが、いずれ現状との乖離でさらに苦しくなります。

そもそも冒頭の「瞑想をやってもあまり効果が実感できなくて」という方は、そううまくリターンを得られなかったから、モチベーションがさがったんですよね。そういう場合は、モチベーションどうこうより、むしろ自分の瞑想のやり方を見直した方がいい気もしますが。

ほらね、いずれにしてもモチベーションなんて役に立ちません。じゃあ、『モチベーション』なんて気にすることなく瞑想を続けるにはどうすればいいんでしょうか。そのためのヒントをリフティングを通じてご紹介しようと思います。リフティング? 何それ、瞑想とどういう関係があるの? はい、なかなかいい疑問です。お楽しみに♪

(つづく)

宝彩瞑想リーダー:チバ

リフティングと瞑想(2)

前回に引き続き、宝彩BBマガジン第33号『リフティングと瞑想』をご紹介します。宝彩BBマガジンはこちら。
http://hosai.world.coocan.jp/bb-site/index.htm

■まっすぐに上がったボールはまっすぐに落ちてくる

2019年末からリフティングを始め、4月に当初の野望の連続50回を突破し、2020年5月31日、ついに連続100回を超えました。久しぶりにまったく新しいことを身につける過程で「ああ、瞑想もそうだったなあ」と感じることがいくつかあり、というかリフティングの練習を継続するにあたっていろいろと工夫をしてきましたが、その工夫は瞑想するときにやってたものがヒントだったりしました。ということで、リフティング練習を通してあらためて感じた瞑想が上達するためのコツ、僕なりにやってきたいろいろな瞑想の工夫を書いてみようと思います。

さて、僕の理解するリフティングの基本原理はいたってシンプルです。ボールの真下をまっすぐに蹴ること。これだけです。まっすぐに蹴れば、当然、ボールはまっすぐに上がります。そんなに力を入れず、腰の高さぐらいまで上げる感じで。これさえできれば、いくらでもリフティングは続きます。まっすぐに上がったボールはまっすぐに落ちてくる。それをまたまっすぐに蹴り上げる。これを繰り返すだけ。上手な人のリフティングは、あまり派手な動きはなくただその場で足踏みをしているように見えます。リフティングって、なんて簡単でしょう。話だけなら。

一方、瞑想の第一段階の基本原理は、いわゆる「集中」「気づき」「棚上げ」の浄化三手順ですね。マントラに集中して、出てきた雑念(思考)に気づき、それを棚上げする。こちらもごくごくシンプルです。この浄化三手順を繰り返して雑念をかたづけていけば、マインドのテーブルから思考の種がなくなり雑念は消えます。考える対象がなくなるので、思考もなくなります。つまりマインドの動きが止まる。無心・無思考の状態、つまり瞑想の第二段階です。こちらも、とっても簡単ですね。話だけなら。

リフティングも瞑想も、この基本をいかに身につけていくかということだと思います。結局のところ。「基本に始まり基本に終わる」というのが両方やってみての僕の実感です。基本に忠実に継続していけば、瞑想もリフティングもいずれ上達します。リフティングは100回できるし、瞑想も第二段階に入れる。だとすると、上達の秘訣はやっぱり「続けること」となります。そのためには、楽しくなくちゃ。楽(らく)ではなく、楽しく。そう、楽しく続けるための工夫を自分でする。それがポイントかな。そうすれば『モチベーション』なんて必要ない。自分がやりたいことを、楽しくやればいいだけです。

(つづく)

宝彩瞑想リーダー:チバ

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