瞑想のちょっとしたアドバイス
最近、友人が瞑想をやってみたいと思っているそうで、そういう人たちに向けた、瞑想についての基本的なアドバイスを書いてみます。
まず、いちばん基本的なこと。瞑想とは何をすることなのか? 瞑想とは「何も考えないこと」ですが、この言葉の意味はしっかり理解しておいた方がいいです。
もし、「何も考えない」ということを「何も考えないことが瞑想だ。瞑想中は何も考えてはいけないんだ」と思い込んでいると、すぐに瞑想するのが嫌になります。
実際に瞑想すると誰もが体験することですが、雑念が次から次へとどんどんどんどん出てきます。それを頑張って「考えない」ようにしようとしても、まあ普通は無理ですね。たとえ、頑張って考えないようにできたとしても、それは「何も考えないようにマントラに集中しよう」としている状態です。つまり、しっかり考えてます(笑)。
では、瞑想で「何も考えない」とはどういうことか? 出てきた雑念を次々に手放し続けていると、やがて考える案件がなくなって思考が止まります。考えるのを止めようとして考えないのではなく、考えがいつのまにかなくなっている。それが瞑想の第一段階の終わりの状態です。
そこまではずっと、マントラに集中しようとしていつのまにか出てきている雑念に気づいて棚上げしての繰り返しです。そうやって少しずつ瞑想の第一段階の作業が進んでいきます。つまり、たくさん雑念が出てきて、それをどんどん棚上げしていくことが瞑想の第一段階で、これが瞑想の入り口です。
瞑想に慣れてない方は、雑念はどこまでいってもキリがなさそうな感じがするかと思いますが、大丈夫。ちゃんとキリはあります。
また、たとえ瞑想の第一段階が終わらなくても、雑念を棚上げできていれば、瞑想後にアタマがすっきりしたとか気持ちが軽くなったなどと感じられると思います。その実感を大切にして、瞑想を楽しんでください。瞑想は、考えを手放す練習です。
宝彩瞑想リーダー:チバ
瞑想のちょっとしたアドバイス(時間帯)
前回書いた瞑想をやってみたいと思っている友人から、瞑想する時間について「朝やるのと夜とどっちがいいの?」と聞かれ、「どっちでも、いつやってもいいよ」と返事しました。
瞑想は自分の生活のリズムに合わせて、やりやすい時にやるのがいいです。特に朝起きてすぐだとか、街も静かになった深夜にやらなければいけないということもありません。
ただ、それぞれの時間帯で、瞑想する意味合いというか、やった時の感覚は異なります。
瞑想の第一段階は、頭の中の片づけです。マインドのテーブル上に散乱しているその日一日分のデータ(思考のタネ)を片づけます。
朝起きてすぐに瞑想すると、眠っている間に記憶の整理が進んでいるので、出てくる雑念は比較的少なくなっているはずです。なので、その分だけ瞑想が早く進む可能性があります。
夜寝る前にする瞑想は、一日分のデータが溜まっているので、まず、片付けがいがあります(笑)。寝つきが良くなったり、睡眠時間が短くてすむと、瞑想がちゃんとできてると実感できます。また、今日はもう他のことは終わって瞑想するだけという状態の方が、集中や棚上げがしやすかったりします。
日中にこまめに瞑想するのもいいです。なかなか深い瞑想には入れないかもしれませんが、公園のベンチ、会社のトイレ、電車で座ってる時に、第一段階だけでもと割り切って瞑想するのもいいリフレッシュになります。それに、あとで家に帰って本格的に瞑想すれば、何もしないより瞑想が早く進むでしょう。
夜にいったん寝て、深夜2時、3時に起きて瞑想するのもいいですね。眠気もとれて、周りも静かで、寝た分の記憶の整理が進んでいるしで。宝彩先生はそうしてたそうです。僕は、いったん寝たら途中で起きるのは難しいので、早くて明け方ですね。
まあ、こんなふうにどの時間帯に瞑想をしてもそれぞれにメリットがあるので、「瞑想は、やりやすい時にやるのがいい」ということですね。つまり「いつやってもいいよ」ということです。
あと、いつも決まった時間に瞑想するのもいいですが、いつもならやらない、やれないと思ってる時間に瞑想してみるのも面白いですよ。個人的には、夕方家に帰ってすぐに瞑想するなんてと思っていたのですが、やってみると思いのほか良かったなんてこともありました。
宝彩瞑想リーダー:チバ
瞑想のちょっとしたアドバイス(腕時計)
腕時計やメガネ、アクセサリー等は、瞑想するときは外した方がいいんですが、このことは瞑想を始めたばかりの方にはあまりピンとこないかもしれません。
瞑想の第一段階は、マントラを唱え、いつのまにか出てくる思考に気づき、その思考を手放す、ということの繰り返しです。そのいつのまにか考え始めている思考、いわゆる雑念ですが、これはマインドが重要だと思っているもの、優先順位の高いものから出てきます。
たとえば、仕事や人間関係で悩みごとがあれば、真っ先にそれが出てきます。
それを棚上げすると、次に大きな案件や懸案事項。
それを棚上げすると、その次の案件や懸案事項。
それを棚上げすると、その次。
と、次々に出てくる思考を、次々に棚上げしていくことで、瞑想は進んでいきます。
この作業はけっこう忙しいです。瞑想といえばリラックスというイメージがあるかもしれませんが、本当にリラックスできるのは、雑念をどんどん片付けて考える案件がなくなってからです。
さて、腕時計の話ですが、日常生活では腕に時計をつけていることは、時間を見るとき以外ほとんど意識しないでしょう。なので、瞑想してても気にならない、とはいかないんですね。
順調に思考の片付けが進んでいくと、いずれ日常では意識もしないことも気になるというか、意識がそちらに向かいやすくなります。腕時計やメガネなんかもそうですし、呼吸していて体が動いて服にこすれる感じだとか、心臓の鼓動が気になることもあります。
こういったことは、瞑想が深くなると必ずそうなるというわけではありません。が、そうなる可能性はあるわけです。だとすると、その可能性を物理的に排除できるなら、そうしておいた方がいいですよね。呼吸や心臓は止められませんが、腕時計やメガネをつけたまま瞑想して、一瞬でも意識がそこに意識が向くのは時間がもったいないので。
「そこまで瞑想が進んだことはありません」という方も、いつ瞑想が深くなってもいいように腕時計は外して瞑想した方がいいですよ。
宝彩瞑想リーダー:チバ
瞑想のちょっとしたアドバイス(例外事項なし)
先日の腕時計の話のつづきです。つづきというか、あれだけではちょっと不親切になる可能性があるかと思って。というのも、あの話を読んだあと、「そうか、じゃあ瞑想するときは腕時計ははずしておこう」と思った方がいたとします。ところが、その方がついうっかり時計をはずし忘れて、瞑想中にそれに気づいた場合、あの話を読む前よりも問題が大きくなる可能性があります。
「あ、腕時計をつけたままだ、どうしよう、なんではずし忘れたんだろう、ああ、ちゃんとはずしとけば良かった」なんて後悔したり、「どうすれば次からはずし忘れないようにできるか」と対策を考えたり、うかつな自分を責めてみたりだとか。
こういう思考は、マインドからすればまったくもって正常かつ正当な働き方です。しかも、瞑想に関する注意事項なので、瞑想するにあたっては重要なことです。「腕時計をはずして瞑想する」という習慣をしっかり身につけるためにも、しっかり考えた方がいい。
と、マインドの言い分に乗るのはまずいですね(笑)。
瞑想中に出てくる雑念(思考)に、例外事項はありません。たとえ瞑想に関することであっても。「腕時計」に限らず、瞑想中の姿勢や呼吸の仕方、あるいは「どうやったら棚上げが上手くなるか」だとか「さっきの雑念は棚上げできたかな?」とか、その他あれこれ。
こういうのはすべて「瞑想がうまくなりたい。瞑想を早く進めたい」という欲で動いてるただの雑念です。
瞑想中に、瞑想のことを考えるのは、瞑想ではありません。
こう文字にすると、あたりまえのことですが。雑念に例外事項はありません。どんな考えも、「今は瞑想中だから、そのことはあとで考えよう」と即座に棚上げしてください。
宝彩瞑想リーダー:チバ
「エクスタシーを味わいたい」という欲を、手放すには
以前、瞑想会で過去情報が出てきて、それが消えたあと、エクスタシーかどうかはわかりませんが、すごく気持ちよくて至福感みたいな感じだったんですが、その時だけなんです……。
なるほど。エクスタシーもそうですが、瞑想で何かいいことがあると、もう一回あれをやりたいって思うんですよね。でも、絶対できない、その欲があるうちは(笑)。僕も、何度もそういう経験があります。
そういう時って、瞑想は早く進みますね。もう一度エクスタシーを味わいたいって思ってると、他の欲はどんどん棚上げできるから。
で、瞑想はどんどん進むけど、あるところから先には進まない。その「エクスタシーを味わいたい」って欲が、ずっと残るから。
じゃあ、そういう時はどうすればいいかと言うと、その「エクスタシーを味わいたい」って欲も手放してくださいってことぐらいで、たいしたことは言えません。
なぜって、「こうすればいい」って聞くと、瞑想中に「そうしよう」と考えるでしょ。それも雑念だから。
あと、僕も経験がありますが、「『エクスタシーを味わいたい』って欲を手放そう」と思うでしょ。で、瞑想して、エクスタシーが来ないとがっかりする。
はははは。それ、全然手放してないわけです。
「『エクスタシーを味わいたい』って欲を手放そう」とするのは、「エクスタシーを味わいたい」からなんです。そこから、一歩も進んでない。
自分を自分で騙そうとして、無理なんですね(笑)。
じゃあ、どうすれば?と言われても、何を答えても同じことになるので、これと言ったアドバイスはできません。
瞑想で何かをどうしようとしても無駄だと自分で納得するしかないんじゃないでしょうか。なので、ご自分で、あれこれ楽しんで工夫してみてください。納得できるまで。
まあ一度できたことなので、条件さえ整えば、またそうなりますよ。きっと何かの拍子にまた来ると思います。
待っていることも、忘れた頃に(笑)。
<参考>
宝彩BBマガジン第25号
『ストロベリー幸せ研究所 第5回 そんなに面白いかね、瞑想は』
宝彩BBマガジン第27号
『ストロベリー幸せ研究所 第6回 ドゥプニエール橋のまぬけな幽
http://hosai.world.coocan.jp/bb-site/index.htm
宝彩瞑想リーダー:チバ
瞑想中の映像はどうすれば?
「瞑想中に出てくる映像はどう処理すればいいのか?」という質問をAさんからメールでいただきましたので、ご紹介します。
宝彩先生の本『楽しもう瞑想』で、映像などへの対処には、ブルーパールを使って対処するとよい、との記載がありますが、具体的にはどうするのでしょうか?
雑念の処理ですが、私の場合は言葉もありますが、ある場面や、場面と共に想念が多く出てきます。
例えば、瞑想中に、言葉でこんな思いが出てきた、ではなくて、ある場面がでてきて、それを見て思ってる自分に気がつくのです。それで、あ、まずい!と思ってマントラに戻ります。
まず、ブルーパールの件ですが、たしかに『楽しもう瞑想』の説明だけでは気になりますね。
ブルーパールというのは、太陽の残像のイメージです。大人になると太陽は眩しいことを知っているので誰も直視しませんが、赤ちゃんが初めて見る強烈な光は太陽です。で、眩しくて目を閉じますが、まぶたに残っている残像。それをイメージして視覚的な雑念を棚上げするということです。
ただ、お話を聞いていると、出て来た映像から思考が動いているようですね。そういう場合は、その思考を棚上げすることが必要です。
その映像の意味やそれをどうすればいいのかという疑問やらやっぱりブルーパールをやってみた方がいいんじゃないかとか、たくさんの思考が走るかと思いますが、それら全てを棚上げしてマントラに戻ってください。
映像の方は、ただ見えているものを見ていれば、いずれ消えます。あるいは、あれこれ考えている時点で消えているかもしれませんね。
ということで、考えている自分に気づいてマントラに戻るということでいいと思います。何か参考になれば。
宝彩瞑想リーダー:チバ
瞑想は、たまにするのが気持ちいい?
瞑想歴は長いけど、あまり熱心には瞑想してないAさんとの最近の会話をご紹介します。基本的に、マインドは瞑想をしたくないので、あの手この手を使ってきます。
久しぶりに瞑想したんですけど、やっぱり瞑想すると、頭がすっきりして気持ちいいです。ときたま瞑想すると、頭がクリーンになったのがよくわかっていいですね。
いつもクリーンだと、クリーンの状態が普通になって、面白みがなさそう。だから、瞑想はときたまやる方が、効果がよくわかって楽しいかなと思ってしまいます。
いつも瞑想していると、日中、頭がクリーンじゃなくなったらすぐに気づけますよ。
あと、朝起きた時に瞑想した後と同じ感じがすると、今日はちゃんと睡眠がとれたなというのもわかります。
え? じゃあ、頭が重たいなあとわかって、嫌だなあクリアにしたいなあと思って、瞑想したくなるってことですか?
そうですね。クリーンな方が自然な状態だと感じるようになると、そうなりますね。
あー、なるほど。だったら、日常でも、頭の中のゴミになるから怒るのもやめようとかになるわけですね?
そうですね。
はー。それだったら、日々瞑想した方がやっぱりいいですね。
ああ、なんだか、ときたましか瞑想しない方がいいという理由がなくなってしまったなあ。まあ、これもマインドの手だったんですよね。瞑想したくないという。
次はどんな理由をもってこようかな(笑)。
ははははは。
宝彩瞑想リーダー:チバ
瞑想の第二段階への入り方
瞑想会で時々、「思考の棚上げが進んで雑念がほとんど出てこない状態ですが、それ以上は瞑想が深くなりませんが、どうすればいいのでしょう?」といった質問があります。
今回は、こういう場合どうすれば瞑想が深くなるか、具体的に言えば、どうすれば瞑想の第二段階に入れるかということを僕の体験を交えてお話してみたいと思います。
結論から言えば、どうすれば瞑想の第二段階に入れるのだろう?と思っているうちは、なかなか第二段階には行けませんね。
逆に言えば、早く第二段階に行きたい、もっと瞑想を深めたいといった欲を手放せば、瞑想が深くなる可能性があるということです。
だとしたら、どうすれば瞑想を深めたい欲を手放せるか?
と、マインドは考えますね。
でも、なぜそんなことを考えるのでしょう?
それは、瞑想を深めたいからですよね。あはははは。瞑想を深めたいから、瞑想を深めたい欲を手放す? それでは、ちっとも瞑想を深めたい欲は手放せませんね。
瞑想を深めたいから、瞑想を深めたい欲を手放そうとする。
こうやって文章にするとそのおかしさに笑ってしまいますが、頭の中でこの変なループにハマるとにっちもさっちも行かなくなります。僕もそうでした(笑)。
じゃあ、どうすればこのループから脱けられるか?
やり方はいろいろ考えられると思いますが、発想のレベル・階層を変える方法をご紹介します。
まずは、なぜ自分は瞑想を深めたいと思っているのか考えてみましょう。
言い換えると、瞑想を、どういう目的を実現させるための手段だと思っているか確かめる。たとえば、楽になりたい、いい人になりたい、能力アップ、プログラムの解除、エクスタシー、悟りたい、あるいは人からすごいと思われたいだとか。
この作業をするときも頭の中でやるだけではなく、書き出してみた方がいいかもしれません。
では次に、その書き出した目的は、何のための手段なのか考えてみましょう。次にまた出てきた目標は、何のための手段なのかを考えます。これを繰り返すと、最終的な目標は何になるでしょう?
いろいろ言い方はあるかもしれませんが、簡単に言うと「幸せになりたい」ですね。「安心したい」だとか「満足したい」といった言い方がしっくりくる方もいるかもしれません。
まあ、どれでもいいですが、その最上位の目的が満たされれば、下の方の階層にある「瞑想を深めたい」はもはや必要なくなるわけです。
はい、ということで、「私は、幸せだ。今まで生きてきてよかった。素晴らしい人生だった」と思えば、「瞑想を深めたい」なんて小さな欲は消えてなくなります。
宝彩瞑想リーダー:チバ
大きな案件は瞑想の前に片付ける
瞑想中に雑念として出てきそうな大きな案件は、瞑想する前に片付けておいた方がいいのですが、その方法としておすすめなのが「書き出すこと」です。
僕がやったことがある、いちばん簡単なやり方としては、自分が抱えている悩みや心配、不安などについて思いつくままにどんどん書き出していく。文章としてまとめようとしなくていいいし、何か答えを得ようともしないでいい。単に手を動かすようなつもりで、思いつくことがなくなるまで、ただひたすら書いていくというやり方です。
どのくらいの量、どのくらいの時間というのは、それぞれの問題の大きさにもよるので一概には言えませんが、実際にやってみると、自分で書き終わったことがわかるはずです。
書いてるうちに、何か解決方法やヒントになるようなことを思いつくこともありますが、なんの答えも得られなくても、書き出すと気持ちがすっきりします。それが書き終わったということです。
これをやるとき、ひとつポイントがあります。それは、自分の中の自己批判者を見逃さないことです。その裁き屋と同一化しないということ。
たとえば、友達とケンカしたことについて書くとき、「くそ、あいつ許せない」と書いたあとに、「そんなこと思ってはいけない」と思ったら、「そんなこと思ってはいけない」と書きます。「いい人でいたい」「正しい人でいたい」というのも欲なので。
つまり、マインドの動きを、全部、書き出すということです。それによって、はじめてマインドを全体を客観視できます。今度、これは絶対瞑想中に出てくるなという大きな案件があったら、この「書き出す」というのを、ぜひ試してみてください。
また、そこまで時間が取れないときや比較的軽めの案件の場合は、とりあえずメモを残しておくのもいいです。
なぜ、アタマが同じことを何度も考えるかというと、その大事な案件を忘れないために、思い出すのです。自分のアタマの働きを観察するとわかりますが、実際には、考えるというよりも、単に同じ考えを繰り返しているだけです。忘れないようにと。
なのでメモに書いて、忘れても大丈夫な状態にしておけば、わりと簡単に忘れられます。つまり「棚上げ」ができます。
宝彩瞑想リーダー:チバ
検索キーワード「瞑想 集中できない」
最近、このブログに「瞑想 集中できない」という検索キーワードで来られた方がいらっしゃいました。ということで、今回は「瞑想に集中できない」ということについて書いてみます。
まず、注意しておきたいことは、「マントラに集中し続けること」が「瞑想に集中できている」ということではありません。ここ、間違えやすいところです。
宝彩瞑想で目指しているものは、何も考えていない状態です。それは、マインド(前頭葉)が休んでいる状態です。
意識はあるけれど、思考はない状態。いわゆる無心ですね。
その状態は、いくらマントラに集中し続けても実現することはできません。
他のことを何も考えないでマントラを唱えている状態とは、それは「マントラだけを考えている状態」です。マントラも小さな思考です。最終的に、それも手放さないと無思考ではない。無心は、精神統一とは違うものです。
このことを理解してないと、瞑想はとてつもなく難しいものになります。他のこと考えないように、マントラに集中しなければいけないと思い込んでしまうからです。マントラ以外のことを考えたら、負けだと。
その上、たとえそれができたとしても、無心ではない。
もし、マントラだけに集中している状態で、マントラという思考をやめても、それまで出てこないよう抑圧していた他の思考がわあっと出てくるだけです。結局、雑念だらけになります。
では、「瞑想に集中できている」とはどういう状態でしょう?
それは、瞑想の浄化三手順がうまく回っている状態です。瞑想の浄化三手順とは「集中」「気づき」「棚上げ」ですね。
マントラに「集中」し、出て来た雑念に「気づき」、それを「棚上げ」する。このサイクルがうまく回っていること、この作業全体に集中できていることが、瞑想に集中できている状態です。
この浄化三手順を回すことにより、雑念を次々に片付けていくことができます。そうすると、最終的にマインドにとって考えるべき案件がなくなります。マインドの仕事がなくなるわけです。仕事がなければ、マインドは動きません。それが無思考です。
なので、瞑想して雑念が出てくることは織り込み済みなのです。雑念が出てこなければ、棚上げ(片付け)ができないので、次々に新しい雑念が出てくるのは、瞑想ができているということです。一般的なイメージとは逆に。
僕も瞑想を始めたばかりの頃は、いくら瞑想しても雑念がなくなる気配もなくどんどん出てくるので、瞑想すればするほど、どんどん下手になっているのではないかと思っていました。でも、そうではなかった。たしかに、雑念にはキリがありました。
なので、瞑想しても雑念がどんどん出てくると不安に思っている方は、安心して瞑想を続けてください。それは、単に量の問題です。出てくる雑念の量を、片付ける量が上回ればいいだけです。
そのためには、しっかり集中して瞑想をしてください(笑)。
ポイントになるのは、浄化三手順の中の「集中」ではなく、「気づき」と「棚上げ」の部分です。いかに早く雑念に気づいて、マントラに戻るか。それが本当の意味での瞑想の集中力です。
宝彩瞑想リーダー:チバ
瞑想時の音について(1)
瞑想は、なるべく五感の刺激がない状態で行った方がいいです。カーテンを閉じたり、電気を消して、視覚情報を遮断する。シャワーを浴びて、エアコンで室温を整え、肌への刺激がないようにする。このように物理的に五感情報を遮断する工夫は、瞑想する上で役立ちます。
ぼくも、なるべく部屋を真っ暗にして、静かな時間に瞑想しています。もちろん、それぞれの生活リズムやスタイルがあるので、「よりベターな環境」ということでいいと思います。
さて、この瞑想の環境という視点で今回は、音について少し。
音に関しては、完全な無音の環境が理想です。なぜなら、音を聞く・音が聞こえるというのも思考であり、また、アタマはすぐに聞こえた音について考えがちなので、最初から音がない方が、瞑想する上では効率的です。
特に、隣の部屋の話し声とか廊下の物音といった突発的な音は、なるべくないのが望ましいですが、現代の生活では、完全な静けさを実現するのはなかなか難しいですね。
では、どうするのかというと、宝彩瞑想会では、CDでタンブーラの音を流しています。いわゆる「瞑想CD」です。ちなみに、タンブーラとは、インドの伝統楽器です。このCDでは、抑揚やメロディのないタンブーラの音が流れ続けますが、この音自体に特別な意味や効果があるわけではなく、周囲の音を遮断するためのもの、言ってみれば、音のカーテンです。
興味のある方は、こちら(中野支部瞑想会でも購入可能です)。
http://hosaipa.la.coocan.jp/meditation-cd/meiso-cd01-ap-form.htm
さて、この周囲の音を遮断するのは他の音源でも可能ですが、いくつか注意点があります。抑揚やメロディ、突発的な音が入っていないこと、言い換えると、ずっと同じような一定の音のもの。
なので、いわゆるヒーリング・ミュージックや波の音、小鳥のさえずり、風の音などは、いかにも瞑想的ですが、実際には、瞑想には向いていません。瞑想時に使えるのは、雨の音やホワイトノイズのような変化のない音です。
瞑想が進むと、五感情報がアタマの中でも遮断されますが、逆に、小さな家具のきしみなどの音がものすごく大きな刺激として聞こえることもあります。
そういう場合、マインドはひどく驚いて、次に瞑想する時も警戒してなかなか静かにならない。瞑想時の音については、できるだけ環境を整えることをお奨めします。
(つづく)
宝彩瞑想リーダー:チバ
瞑想時の音について(2)
上記の「瞑想時の音について(1)」は、外部的(物理的)な音の遮断ですが、浄化三手順の作業に集中していると、五感情報がアタマの中でも遮断され、周囲の音は聞こえていても、意識にのぼってこなくなることがあります。これは、まあ普通に何かに意識を集中して、他のことは意識から遮断している状態です。
こういった内部的な音の遮断は、日常で誰しも経験があると思いますが、瞑想が深くなると、音の内部的な遮断がさらに進むこともあります。
ぼくは、以前、アナログ時計がカチコチ鳴っている部屋で瞑想していた時、ふと、時計の音が全く聞こえないことに気づいたことがあります。それに気づいたあとも音は全く聞こえてこず、深い海の底にいるような感じでした。これは、マインドの音を処理する部分が休止モードに入っていたんでしょう。
深い瞑想状態のときは、他にもいろいろなことが起きることがありますが、そこへ行くためにも、まずは、瞑想の環境を整えることは大切な基本だと思います。ただ、いくら環境を整えようとしても限界があります。
たとえば、タンブーラ音楽などを流しても、瞑想会の会場の外から人の話し声や音楽が聞こえてくる場合。そこで、アタマが「その音を問題だ、どうにかしなくては、どうすればいいのか」と考えだすと、瞑想どころではなくなってしまいます。
ぼくもそういった経験がありましたが、その時、「もっとうるさくしてもいいよ。もっと音を立ててもいいよ」と思ったら、そうだなあ、何も自分の邪魔をしようとしてるわけじゃない。その人たちは楽しんで話してるだけなんだ。うん、もっと楽しんでいいよ。もっと声を出して楽しんでいいよ。という気分になって、音が気にならなくなりました。
つまり、音そのものよりも、それについての思考が問題を作っていたわけです。
なんだかとりとめのない話になってしまいましたが(笑)、瞑想中の音に関しては、できるだけ環境を整え物理的に遮断することに加え、解釈を変更して気にならない方向にもっていくこともポイントです。
宝彩瞑想リーダー:チバ