宝彩瞑想会|中野支部

瞑想の基本から、その奥まで。

瞑想の第一段階の楽しみ

瞑想がうまくなるコツは「瞑想を楽しむことです」と瞑想会でよくお話しますが、具体的に「瞑想を楽しむ」とはどういう意味でしょう?
みなさんは、瞑想に何を期待しているのでしょう?

瞑想の第二段階に入れば、思いがけない様々なことが起きてきます。わかりやすいもので言えば、過去情報のアクセスだとかエクスタシーですね。こうした体験があると、瞑想することはまさに楽しみになります。瞑想が何より面白かったり、気持ちよかったり。
でも、まだ瞑想の第二段階に入ったことのない人は、何を楽しむというのでしょう?

瞑想の第一段階は、面白くもないマントラを唱えて、出てきた雑念に気づいて、それを棚上げして、またマントラに戻るという作業の繰り返しです。正直、それ自体はちっとも面白くない。
で、「早く第二段階に行けないかなぁ」なんて考えて、かえって雑念を増やしてしまったり。

瞑想の第一段階でも、棚上げ作業が上手になってくると、雑念が大きな懸案事項からだんだん小さくなっていき最後にはイメージのシャッフルのような感じに変わっていくのがわかって、これはこれで面白いですね。一本の瞑想がまるでちょっとした旅のように感じたりすることがあります。

では、まだそこまでも瞑想に慣れてない人は、瞑想の何を楽しめるのか。
気づけば、また考えごとをしている。いつまでたっても雑念が終わらない。本当に雑念がなくなるなんてことがあるのかなぁ。
といった人です。

こういう人たちこそ、瞑想を楽しむという態度が大事なポイントになってきます。そのためのわかりやすい方法としては、瞑想前と瞑想後の自分自身の違いを感じることです。
雑念が全部片付かなくても、棚上げができていれば、瞑想したあとには必ず変化があるはずです。少し頭が軽くなったとか、気持ちが楽になったとか、身体の緊張がとれたとか。あるいは、寝つきが良くなったとか、睡眠が深くなったとか、睡眠時間が減ったというような睡眠の質に変化を感じる人も多いですね。

こういった、ささいな変化を感じることができると、瞑想っていいものだなぁと思えてきます。瞑想するのが楽しみになってきます。
そうやって瞑想をつづけていると、いつのまにか瞑想もうまくなり、ますます楽しくなってきます。ぜひ、瞑想前と瞑想後の違いを感じて、瞑想を楽しんでください。

宝彩瞑想リーダー:チバ

「瞑想の進歩欲」の取り扱い方

瞑想初心者のAさんから質問メールをいただきました。他の方の参考になるかもしれないので、その返信メールをアップします。

まず、Aさんからのメールによると、瞑想中に出てくる雑念がしつこく、いくら棚上げしてもきりがないとのことでした。具体的にどういう雑念か確認してみると、瞑想についての雑念だとのこと。「瞑想、どうして進歩しないの?」「何故まだ過去にいけないの?」といったふうな。

また、現在のAさんの人生はかなり厳しい状況にあるようで、「瞑想をやらないと生きていけない」とのことでした。全般に、早く瞑想が上手になりたいという思いが強すぎるようでした。
瞑想が上手くなりたいという思いは、瞑想を始めるにあたっては当然なことでモチベーションにはなりますが、実際に瞑想を進める上では他の欲と同じく手放していく必要があります。

下記が僕が書いた返信メールから抜粋したものです。

まず、瞑想関連の雑念についてですが、そういった思考も雑念だと気づいているのは素晴らしいことだと思います。センスあるなあと思いました。
さて、そういった雑念にどう対処するかということについては、3つご提案があります。

ひとつめは、瞑想の第一段階はそれこそマインドとの勝負です。マインドはしつこいものですが、しつこさでマインドに負けなければ勝負には必ず勝てます。
詳しくはすぐ下の「後出しジャンケン」というコラムをご参照ください。

ふたつめは、棚上げのときの心構えです。
マインドはあまのじゃくなので、「雑念から、早く離れろ!」と思っていると、離れません。雑念を「考えてはいけないこと」だと思って、それを禁止するつもりでいると、逆にマインドはその考えに執着します。

では、どうするか?
そう、「棚上げ」ですね。棚上げというのは、考えを途中でやめることですが、否定することではありません。考えるのを後回しにすることです。

その考え自体の優先順位の高さは認めたままで、それを考える時間的な優先順位を下げる。つまり棚上げとは、詳しく見ると、「よしよし、わかった。その考えは大切だね。でも、今は瞑想中だから、後で考えよう」という感じです。まあ、それで棚上げできた考えは、わざわざ後で考える必要もないですが。

さて、最後に。
Aさんの「瞑想の進歩欲」の正体はなんでしょう?
人生の大きな問題を瞑想が進むことで解決できると考えているのなら、たしかにそれは大きな欲になりますよね。

ただそれは、実際には瞑想への進歩欲というより、自分の人生の問題の解決を瞑想に求めているのに、瞑想が進まない、これじゃ、いつまでも人生の問題が解決しないという焦りや不満ではないでしょうか?

一度、瞑想によって解決できると思っている、自分の「問題」を書き出してみるといいかもしれません。それが「瞑想の進歩欲」の元欲ですね。
それらの欲を愛の方向に変える。『始めよう。瞑想』だと、4章の「日常で行うエクササイズ」のあたりです。こういったことも瞑想を進めるポイントです。というか、そっちが進めば、瞑想も進むという気がします。

瞑想なんかやらなくても、生きていけます。
でも、瞑想すると人生が楽しくなります。
それでは。

宝彩瞑想リーダー:チバ

「棚上げ」は、後出しジャンケン

瞑想の第一段階は、出てきた雑念を片付けることいっても過言ではありません。その雑念の片付け、いわゆる「棚上げ」が大変で苦労するという相談を受けることがあります。

新しい案件を次々と思い出して、それを次々と棚上げできている場合は、順調に瞑想ができている(アタマの片付けが進んでいる)と言えます。
が、棚上げしてもまた同じ案件が出てくることがあります。もう考えたくもないのに、気づくとまた同じことを考えている。頭も疲れるし、ちっとも気分も良くならないし。瞑想の第一段階は進んでいない。

さて、こういう場合はどうするか?
いくつかアプローチの仕方はありますが、今日はそのうちのひとつについて書いてみます。

瞑想の棚上げ作業は、ある意味、マインドとの勝負です。ですが、この勝負には必ず勝てます。
なぜなら、まずマインドが雑念を持ち出してきて、その後、それに気づいて棚上げするという流れだからです。つまり、「棚上げ」は、後出しジャンケンと同じ。必ず勝てます(笑)。

50回同じことをマインドが持ち出してきたら、50回棚上げすればいいだけです。勝てる勝負を50回やるだけのことです。勝つことが分かっているので、余裕ですね。

宝彩瞑想リーダー:チバ

瞑想中に思考が次々湧いてくる

中野支部瞑想会に参加された方から、質問メールをいただきました。皆さんにも参考になると思います

チバさん、こんにちは。
飽きっぽい私には珍しく、毎日かかす事なく瞑想に励んで(この表現で正しいのかw)います。毎回色んな変化を感じて、日記に瞑想で新しく起こった事を記録し始めました。
そんななか、自分でどうしたものかと思う事が出てきましたのでお時間あるときにお返事頂ければ嬉しいです。

全部で3つ
(1)最近思考が物凄いです。
次から次へ湧いてきて片ずけても片ずけても新しい思考が溢れてきます。今までは瞑想すると落ち着いていたのに今は、ずっと忙しい感じで、瞑想の回数を意図的に増やしましたが変わりません。このまま続けて良いものでしょうか?1日おきなどに少し減らした方が良いのでしょうか?

(2)瞑想に入って居るのかが未だわかりません。
宝彩先生の本には入ったらすぐにわかるような事が書いてあったと思いますが。7月の瞑想会の時の呼び水の映像も、ただの思い出なのか?でも、思い出よりは鮮明でしたし。もともと思い出の記憶力は良い方なので、瞑想に入ったのか否か自分ではわからないのです。何かアドバイス頂ければ嬉しいです。

(3)マントラを普段使ってもいいのか?
瞑想の時には、良い思考も嫌な思考も全てマントラで棚上げし消していきます。
私の仕事は単調で、仕事中に思考がポップコーンが弾けるように止まらない時があります。そんな時「フ。」っと、無意識にマントラで消している自分に気付きました。これは、避けた方が良いでしょうか?もしくは、プラスに働いているのでしょうか?

こんにちは。チバです。
瞑想日記、素晴らしいですね。毎回色んな変化を感じているというのも。
まず、最初のご質問ですが、瞑想中に思考が次々湧いてくるという状態はぼくも経験があります。その頃は、瞑想すればするほど瞑想が下手になっていくように感じていました。
でも、それは瞑想のレベルがあがったということです。

前回の瞑想会でもお話ししましたが、瞑想初心者はマントラに集中しやすいものです。マントラを唱えること自体が目新しい体験なので。そういう場合はマントラに集中していると、マントラ以外の思考は出てきません。

そうすると、その時間は、日中あれこれ考えていた懸案事項や気がかりから一時的に離れることができます。そのため、気持ちが落ち着いたり、リフレッシュした気分になります。

ですが、そのマントラに集中しつづけている状態では、「集中」ばかりなので、瞑想の浄化三手順(集中・気づき・棚上げ)はあまり実践できていません。言い換えると、マントラ以外の思考(雑念)が出てきてないため、その片付けが進んでない。つまり、瞑想の第一段階の作業はあまり進んでないということです。

瞑想についてよくある勘違いは、マントラに対する理解です。マントラは集中する対象ですが、マントラに集中することが瞑想ではありません。マントラは雑念を消すためのものではなく、むしろ、マントラは雑念を引き出す道具のようなものです。

瞑想を続け、マントラに慣れてくると、アタマはマントラに飽きてきます。マントラは意味のない音の連なりなので、「こんなものを唱えるよりも、もっと大事なことがある」とアタマは次から次へと懸案事項を持ち出してきます。

それをどんどん棚上げしていくのが瞑想の第一段階であり、そういう状態になってこそ、マントラが雑念を引き出す道具になったということです。そこからが、本当のアタマとの勝負の始まりです。そういう意味で瞑想がレベルアップしたということです。おめでとうございます。

ただ、その段階だと、ずっと瞑想しても次から次へと雑念が出てきて、瞑想するのが大変な気がするというのもよくわかります。ホントにこれで瞑想が深くなるのか、それ以前に、瞑想ができているのかなと。ぼくもそうだったので(笑)

でも、マインドのテーブルにあるデータは有限なので、単純に量の問題です。そのテーブルのデータを片付ければ、自動的に瞑想は深くなります。
あとポイントになるのは、日中の過ごし方です。日中になるべくデータ量を増やさないこと。特に重いデータ。重いデータというのは、ネガティブな感情を伴う記憶のことです。イライラや心配や後悔などをなるべく少なくする。『楽しもう。瞑想』で、修養という言葉で詳しく説明されてますので参考にしてください。

それと、瞑想に入っているかどうかわからないとのことですが、瞑想会で感想を聞いた感じでは、呼び水をやった後の瞑想では、過去情報にアクセスできてたと思いますよ。
「瞑想に入った」といっても、いろいろなレベルがあります。瞑想に入ったなと思っていても、もっと深い瞑想状態になることもあります。ただ言えるのは、瞑想中に、瞑想のレベルを気にしていると瞑想はなかなか深くなりません。「深い瞑想に入りたい」とい大きな欲があるからです。その欲から出てくる思考も棚上げの対象です。

最後に、マントラを普段使ってもいいのかということですが、それはいわゆるF瞑想ですね。『始めよう。瞑想』の4章を参考にしてください。
以上、何かヒントになれば。
それでは、また瞑想会でお会いできることを楽しみにしています。

宝彩瞑想リーダー:チバ

本来の面目坊

瞑想中に何かいいことが起きると、アタマは、またそれを体験したいと期待します。ですが、その期待が欲となり瞑想の邪魔をします。その期待を手放すまで。
僕も初めてエクスタシーを体験した後、まさにそういった状況になりました。下記は、宝彩BBマガジンに掲載されたその時の体験談です。

瞑想中に今までにない気持ちよさを、初めて感じた時、それが「瞑想の真髄のサマリー」の至福感・恍惚感かどうかは分かりませんでした。まあ、でも気持ちよかったですからね。とにかく、もう一度、アレを体験したいと思いました。

そう思った僕が始めたことは、瞑想のレベルをチェックすることでした。まず、エクスタシーかどうかは分からないけど、第二段階には行ってるだろうということで、アレを、仮に「移行」と名付けました。また、その頃は、瞑想中に一定の感覚の変化があったので、「移行」を10として、その感覚の変化によって瞑想の深さを計り始めました。お、レベル8まで来たな、前回はレベル6だったから、今回はいけるかも!なんて。

馬鹿なことやってたなと思いますが、当時は、「科学的」なつもりでやっていました。あはははは。当然ですが、瞑想中にそんなことを気にしていると、いつまでもそれが欲として残ります。レベルなんてのも、あやしいものです。その基準にしていた一定の感覚の変化というものも、瞑想を長く続けるうちに変わっていきました。

エクスタシーに限らず、瞑想中に起きた何かいいことを再現しようとするのは、修行者が陥りやすい罠ではないでしょうか。それだけ瞑想に熱心になっているのは、ある意味いい状態だとも思います。ただ、他の欲と違って修行に関する欲は、気づきにくいものですね。マインドは、瞑想中に瞑想のことを考えるのは正当な仕事だと思っているし、思考として出てくるのは、「もう一度、アレを体験したい」といった直接的な言葉ではないからです。元欲が何か気づかないと、思考の棚上げだけではきりがない感じもします。

瞑想でスランプだと感じる時は、瞑想する前に、何が不満なのかを確かめてみてはどうでしょうか。いい瞑想をしたいという欲が、いい瞑想の邪魔をしているのかもしれません。

(宝彩BBマガジン第2号『あの素晴らしいアレを、もう一度』より)

宝彩先生の著書『気楽なさとり方 心がどんどん晴れる(日本教文社)』にも、一休さんの「本来の面目坊が立ち姿 一目見しより恋とこそなれ」という歌の解説として、このあたりのことが書かれています。この本は、おすすめです。

宝彩瞑想リーダー:チバ

気づいた時がいちばん早い

ある時の支部瞑想会で、浄化三手順がうまくできないAさんという方がいらっしゃいました。
具体的に聞いてみると、瞑想中に雑念を考えていることに気づかず考え続けて、ようやくそれに気づくと、これじゃ瞑想にならないと瞑想をそこでやめる。雑念に気づくまでの時間は10秒ほどで、時には2分ぐらいで瞑想をやめてしまうとも。いったん瞑想を中止したら、そこでその日の瞑想は終わりにしているとのこと。

たしかに、瞑想でアタマの片付けをうまく進めるには、雑念に、早く気づいて、早く棚上げするのが有利だし、瞑想に集中できてない場合、そこでいったんやめて、休憩してからもう一度瞑想するというのもひとつのやり方です。
が、Aさんのお話を聞いていると、全体的に、何か自分に厳しすぎるように感じました。瞑想がうまくできないなら、やる意味がないといったふうな。

で、本当に、雑念に早く気づくとは、どういうことかを自分の体験からお話ししました。
雑念に気づくのに、「いちばん早い」のは、「今」です。1秒前でも、10秒前でもなく。なぜなら、今その時以外の時間は、存在しないから。その、雑念に気づいた瞬間にだけ、考えを手放すことができます。

また、雑念に気づいた時に、「なんでこんなに考えてしまったのか」だとか考えるのも、考えを続けたいマインドの策略です。その手に乗ってはいけません。気づいたら、その考えを手放して、マントラに戻る。シンプルなことです。

気づいた時がいちばん早い。
そう思って、もう少し気楽に瞑想することをAさんにはおすすめしました。

宝彩瞑想リーダー:チバ

マントラは雑念を引き出すための道具

瞑想の第一段階は雑念の片付けですが、先日、初心者の方から「マントラを唱えていても、雑念がぜんぜん出てきませんが」という質問がありました。

瞑想の初心者が「ずっとマントラに集中していました。雑念は出てきませんでした」という場合、考えられる原因のひとつはマントラにまだ慣れていないということです。マントラがまだ目新しくて、それを心の中で唱えるという経験自体も新鮮で興味深い。あるいは、これを間違えないようにしっかり唱えなくちゃ、とマインドの大きな仕事にしていると言えるかもしれません。
それ自体が大きな案件だから、それより小さな案件(雑念)が出てこない。「マントラは雑念を引き出すための道具」という宝彩先生の言葉がありますが、こういった場合は道具としてまだ機能してないということです。

ただ、こういった状態の瞑想でも、マントラに集中しているあいだは、他の嫌な事や懸案事項、心配事は考えていないので気持ちはすっきりしたりします。
それはそれでいいことですが、雑念の片付けとしてはあまり進んでいません。

逆に、マントラに慣れて、それを唱えることが別段面白い事ではなくなると、他の案件が出てくる。ようやく道具として機能し始めるということです。つまり、雑念が出てくるのは、マントラを道具として使えているということです。どんどん雑念が出てきて、それを次々かたづけていくのが瞑想の第一段階です。

ということで、瞑想中に次々と雑念が出てくる皆さんは、きちんと瞑想できている=アタマの片付けが進んでいるということです。言ってみれば、瞑想中級者ということです。あとは、「後出しジャンケン」で勝つだけですね。

宝彩瞑想リーダー:チバ

瞑想を続けるコツ

夏の終わり頃、瞑想できない日が続きました。ぼくは、一日の終わりに、すべて片付いた状態で瞑想するのが好きでしたが、仕事の内容が変わり、瞑想を始める前から疲れてもう眠くなっている。そんな状態がしばらく続くと、いつのまにか瞑想をしないのがあたりまえになっていました。

瞑想会でも、瞑想をしようと思っていても続かないという方がときどきいますが、そういう場合、どうすればいいのでしょう?

目標を立ててモチベーションを上げるというのが、よくある発想ですね。たとえば、「早く境地瞑想(瞑想の第二段階)に入るために、たくさん瞑想しよう」だとか。

でも、こういう目標の立て方は「新年の誓い」と一緒でたいていうまくいきません。「新年の誓い」を達成できる人も中にはいると思いますが、瞑想の場合、この手の目標は、瞑想の邪魔にさえなります。

なぜなら、境地瞑想に入るために瞑想すると、瞑想中に、それが雑念となって出てくるからです。他の瞑想の効果に対する期待や目標でも同じです。「目標」と言うと聞こえはいいですが、結局は「欲」なので、瞑想中ずっと、瞑想がうまくいってるかどうかを気にすることになり、かえって瞑想が深くならないといったことになりがちです。

これは「目標」は、「欲」だからいけないと言っているわけではありません。目標の立て方が合理的でないということです。では、合理的な目標とは何でしょう?

僕の場合は、宝彩先生の自愛文言をヒントに「一日一回、座る」という目標にしました。「一日一回、座る」という目標は、シンプルですぐに達成可能です。瞑想を始めた瞬間、その目標は達成されています。目標について、それ以上考える余地はないので、雑念にはなりません。素晴らしい(笑)。

他にも、実際にこれを始めてから面白いことがありました。「一日一回、座る」ということなので、「まあ、1分でも瞑想するか」と始めても、普通に10〜15分瞑想することも多く、その1回の瞑想で頭がすっきりして続けて何本かやってみることも。

あと、今日は疲れてるから早めに瞑想しておこうと、家に帰ってすぐ瞑想したり朝起きて瞑想したりということもあり、「瞑想は夜寝る前に」というこだわりがなくなりました。瞑想がなかなか続かないなあという方は、「一日一回、座る」をお試しあれ♪

宝彩瞑想リーダー:チバ

瞑想と夢(記憶の整理)

瞑想会のあと、何人かの方とカフェに行きおしゃべりしていたときのこと。参加者の一人、Aさんが、瞑想中に心あたりがない映像が出てくるのを不思議がっていました。たしかに、考えてみると不思議ですね。なぜ、そんな心あたりのない映像が瞑想中に見えるんでしょう? それを理解するヒントは「夢」にあります。

いわゆる夢というのは、その日の一日分の記憶の整理作業です。通常はレム睡眠時にこの作業が行われています。この作業の途中で目覚めると、夢を見たという意識を持ちます。記憶の整理作業はけっこうな労力が必要なので、生理的に15分くらいしかつづきません。「1回に瞑想する時間は15分まで」というのもここから来ています。

瞑想の第一段階で行う「棚上げ」とは、マインドのテーブルに溜まっているデータの片付け作業ですが、これは睡眠中の記憶の整理作業を前倒しでやっているとも言えます。細かく言うと、記憶の整理作業には整理作業と収納作業があります。簡単にいうと、記憶データを書類のように「処理済み」と「未処理」に分けるのが整理作業で、「処理済み」データを固定記憶域にファイリングするのが収納作業です。

瞑想のいわゆる「棚上げ」は、記憶の整理作業が行われていますが、瞑想が上達すると記憶の収納作業まで行われるようになります。つまり、夢を見ているのとほとんど同じ状態です。眠っているか、起きて覚めているかの違いだけです。大きな違いですが(笑)。

この収納作業のとき、マインドは「処理済み」のデータも「未処理」のデータもすべて引き出し、あれこれ考えながら整理していきます。過去のデータと比べたり、意味付けしたり、ひとつひとつのデータに索引を付けたりしてから、固定記憶域の書棚にファイリングするわけです。それぞれの書棚はカテゴリー分けされています。なので、Aというデータを収納しようとするとき、同じ書棚の中にあるBというデータをちらっと見ることがあります。そうするとBの夢を見たという意識を持ちます。瞑想が深くなって出てくる「心あたりのない映像」の仕組みはこれと同じです。もちろん、瞑想中は記憶データがそのままの形で出てくることもあります。

面白いことに、瞑想が上達したり、日中の頭の働き方を観察できるようになると、わけの分からない夢もすぐに元の記憶が何なのか分かるようになります。ただし、「心あたりのない映像」が瞑想中に出てきた場合に、「これの元の記憶は何だろう?」と考えるのは雑念なのでやめた方がいいです。

さて、Aさんにこういった話をしたところ、「ふ〜ん、そうなんですか」と半信半疑の様子でした。そこで、今日見た夢を何か覚えてないか尋ねたところ、「職場で山田花子に追いかけられて叱られる夢を見ました。怖かった」とのこと。

「その夢の元の記憶は、山田花子と同じカテゴリーのものだね。記憶のカテゴリー分けは人それぞれだけど、たとえば『お笑い芸人』とかで何か心あたりはないですか?」と言うと、何かはっとした様子でした。
「私のルームメイトに芸人のコがいて昨日、舞台に誘われたんですが、断ったんです」
「ああ、なるほど。断ったのを気にしてたから、『追いかけられて叱られる』になったんじゃない?」
「ああ、そうです、そうです! 断って悪かったなあって。それに、今、仕事も病気で休んでいて迷惑かけたんじゃないか、悪かったなあって気にしてたから、ああ、だから職場で追いかけられたんだ! わあ、何これ面白い!」

やってみると分かると思いますが、夢から元の記憶を探り当てると自分ではっきり分かります。慣れてくると、夢に出てきたすべてのシーンや映像の元まで分かるようになります。そうすると、夢というのは本当に記憶の整理作業だということが理解できます。つまり、どんな不吉で怖い夢もただの記憶の整理作業だし、楽しい夢を見たければ、日中に楽しいことをして楽しいことをたくさん考えればいいということです。
みなさん、今夜もいい夢を♪

宝彩瞑想リーダー:チバ

あの考えは棚上げできたかな?

瞑想で大事なのは、マントラ以外のことを考えないようにすることではなく、出てきた雑念を追わないこと。つまり棚上げですが、棚上げを意識しすぎると、今度は、アタマがその「棚上げ」ができているかどうかを気にし始めることがあります。

たとえば、「棚上げができているかどうか?」「さっきのあの考えは棚上げできたかな?」とか。でも、そういった思考も、もちろん雑念です。その思考自体も棚上げの対象です。

また、出てきた雑念を棚上げできたかどうかは、実際には、確認はできません。なぜなら、考えを棚上げする、手放すというのは、そのことをそれ以上考えないこと。言ってみれば、一時的に「忘れる」ことだからです。

逆に、ある思考を棚上げできたかを確認しようとすると、まず、何の思考だったかを「思い出す」必要があります。その時点で、せっかく棚上げしたものを、また棚下ししてしまうことになります。これは、ある意味、考えを手放したくないマインドの策略です。乗せられないよう、お気をつけください。

大丈夫です。
本当に必要なことはちゃんと思い出せるので、どんなことでも安心して瞑想中は忘れてください。あの考えも、あの考えが棚上げできたかどうかも、忘れてください。

宝彩瞑想リーダー:チバ

無心と集中の違い

瞑想会に参加された方から、「雑念が出てきてマントラに集中できないのですが?」という質問がよくあります。なので、無心と集中について少し書いてみます。

マントラを唱えて瞑想するというと、多くの方が、他のことを考えず、無心でただマントラを唱え続ける、つまり、雑念が出てこないくらいマントラに集中することだとイメージしがちです。

ぼくも、瞑想を始めた頃は、そういったイメージを持って瞑想をしていましたが、そうすると、雑念は瞑想すればするほど出てくるので、瞑想すればするほど瞑想が下手になっている。そんな気がしていました。

さらに、雑念をいけないものだと思いこんでいたことで、かえって瞑想中に2次データを増やしてしまいがちでした。「あ、また考えてる。なんで、また考えてるんだ。どうして、ちっとも考えがなくならないんだろう」と新しい思考を増やしてしまう、ということです。

このように、「無心でマントラを唱え続けること」が瞑想だと思い込んで瞑想をすると、超人的な集中力が必要に思えてきます。瞑想が超・苦行になります。

そして、もうひとつ。瞑想の目的は、無心になることですが、「無心でマントラを唱え続けること」で、その無心が達成されるのでしょうか?
はい、違いますね。

同じ<無心>という言葉を使っていますが、先にも書いたように、「無心でマントラを唱え続けること」とは、言い換えると、雑念が出てこないくらいマントラに集中することですね。

でも、マントラも思考なんです。つまり、瞑想の目的である無心を達成するには、実はマントラもやめる必要がある。

で、もし、雑念が出てこないくらいマントラに集中できたとして、そのマントラをやめると、どうなるか?
マントラに集中することで、抑えていた雑念がどっと出てくるだけです。無心どころではありません。

瞑想で大事なのは、マントラ以外のことを考えないようにすることではなく、出てきた雑念を追わないこと。考えに気づいて、その考えを途中でやめること。そうやって、出てきた雑念を次々手放していくと、考えるネタがなくなって、最終的にマインドは休止します。その時はマントラも消えています。そこからが瞑想の第二段階です。

なので、次々と新しい雑念が出てきて、それを棚上げできているのなら、瞑想の第一段階の作業は、きちんとできています。ご安心ください。

宝彩瞑想リーダー:チバ

瞑想がうまくなるコツ

時々、瞑想会の参加者から瞑想の効果について質問があります。能力アップやストレス解消、体調など、それぞれに期待していることがあるようで、それはそれでいいし、確かにきちんと瞑想すれば、それに応じて効果はあると思います。

ただ、その期待を持ったままで瞑想すると、期待する効果がすぐに実感できなくてやる気がなくなるということがあります。また、「これで瞑想できているんだろうか」「本当に効果があるのか」といった雑念が、瞑想中に、出てきがちです。それらも棚上げの対象です。瞑想がうまくなって、早く効果を出したいという欲ですね。

では、そういった期待や欲をどう手放すかというと、たとえば瞑想を楽しむことです。あわただしい一日の中で、静かに座って過ごす時間を楽しむ。まあ、瞑想の第一段階では、棚上げで忙しいはずですが(笑)

あるいは、毎回、瞑想の後で「瞑想して良かった」と積極的に思う。たとえ短い時間の瞑想でも、よく感じてみれば、頭がすっきりしたとか、気持ちが楽になったとか、なんらかの変化があるはずです。その変化をしっかり積極的に感じてみる。瞑想して良かったな、と。

瞑想を楽しめると、楽しく続けられます。
楽しく続けていると、きっといい変化が起きると思います。
瞑想を楽しんでください。

宝彩瞑想リーダー:チバ

CLOSE